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ゆだねる、って?

先日、いつも私の書いた記事を読んでくれている人から
 
「イグゼロさん、
 ゆだねる、って、どういうことですか?」
 
と聞かれることがあった。
 
 
ゆだねる、かぁー。
 
なんとなくは捉えていたけれど、
あらためて聞かれると、
ボンヤリとしているなぁ。
 
よし!では考えてみよう!
 
 
 
さてさて。
 
(狭い範囲の)ちまたでは、
 
 
「とにかく、手放してゆだねてみましょう」
 
「コントロールしようとせず、
 ゆだねれば全部うまくいきます」
 
 
的な事も言われてたりするけれど、
 
「おいおい!
 いきなりハードルの高い事を要求するなぁ」
 
なんて風に感じる。
 
 
どれくらい難しいか?は人によるだろうけれど、
個人的には、平均的な日本人にむかって、いきなり
 
 
「さぁ、とにかくスワヒリ語をしゃべってみましょう」
 
「しゃべってみれば分かります。スワヒリ語」
 
 
くらいの難しさだと思う。
 
 
そんなこと言われても、無理じゃね?
アンビリーバブルじゃね?
 
 
だって、
 
「ゆだねる」
 
という経験って、ほとんどの人は
生まれてこの方、未経験だからだ。
 
 
「いやいやイグゼロさん。
 赤ちゃんの時は、誰だってお母さんに
 全てをゆだねてましたよね?」
 
 
と思うかもしれないけれど、
いわゆる自己啓発系で言われている「ゆだねる」とは、
意味合いが全く違うと思う。
 
 
赤ちゃんがお母さんに安心して身を任せているのは、
「安全だ」と思っていられている時だけだ。
 
それが証拠に、ちょっとでも大きな音が鳴ったり、
振動があっただけで、赤ちゃんは
 
「ウェェェェーーーン!!!!」
 
「ビィィエエィエエーー!!!」
 
と、泣き出してしまう。
 
 
これは、いわゆる全てうまくいくと言われている
「ゆだねる」とは、違うと思うんだよね。
 
 
自己啓発系とかで言われている「ゆだねる」とは、
たとえ一時的にはピンチなことがあったりしても、
それでも
 
「私には、もたらされる」
 
と信頼している状態だと思う。
 
 
なので、
 
こちらの意味の「ゆだねる」は、
ある程度大人になってからじゃないと
まずチャレンジすら不可能な事だと思う。
 
どうしても反応的になってしまうからね。
 
 
たとえ目の前で自宅が全焼しようが、
信頼していた人がユダばりに裏切ろうが、
夢を追いかけていたのに、その夢が破れようが、
 
反応的にならずに、
 
「ああ、ありがとう。
 とにかくゆだねてますので」
 
と、心穏やかに、もたらされるものを信頼する状態。
 
 
そっか、そうだよね。
 
そんな心の状態を説く人に、ひと言
申し上げたい。
 
 
 
 
そんなこと、
 
できるかぁあああーーーっっっ!!!!!!
 
 
 
 
と(笑)。
 
 
まぁ、言っている人たちも、
我々にそこまでを要求しているわけじゃないんだろうけれど、
言うなれば、そう言う事だよね。
 
 
もう、マジムリ。
Mou、Maji、Muri、の3M状態。
 
 
 
そんな事を書いている中、
 
「じゃあ、ゆだねる、って、どうすればいいんだろう?」
 
と頭を巡らせていると、
ふと、ポンと、思いいたったことがある。
(ホントに今この瞬間に湧いて来た)
 
 
それは、
 
「ああ、ゆだねる、って、走れメロスだわ。
 メロスでいいんだわ」
 
ってこと。
 
 
 
太宰治先生の名作『走れメロス』。
 
その中で、主人公であるメロスも、
メロスの親友セリヌンティウスも、
互いに1度だけ疑い、裏切ろうとしている。
 
それでも、きちんと約束を果たし、
ハッピーエンドを迎える。
 
 
実際の「ゆだねる」も、まずは
こんな感じじゃないかな?なんて思うんだよね。
 
 
全幅の信頼、完全なる「ゆだね」。
 
 
それが出来れば最高にいいけれど、
私たちは人間。
 
そんな完璧な状態には、なかなかなれない。
 
 
いつも疑念を持っていたらダメだろうけれど、
ふと、心の中に
 
「本当に大丈夫なんだろうか?」
 
と思ってしまうのは、しょうがないとも思う。
 
 
でも、そんな疑念を持ちながらも
 
「信頼しよう」
 
「それでも、もたらされると、ゆだねてみよう」
 
と、前を向いて、できることをやれば
まずはそれでいいんじゃないだろうか?
 
 
それは筋力トレーニングと同じで、
いきなり100kgのバーベルは持ち上げられない。
 
 
たぶん「ゆだねる」も同じで、はじめは
 
「ゆだねたいけれど、ホントに大丈夫?」
 
「これって、ゆだねられているのかな?私?」
 
という疑念が湧き出てきてしまうのは
トレーニングの過程では、あっていいと思う。
 
 
 
そんな、「ゆだね」と「疑念」を行ったり来たりするうちに、
だんだんと「ゆだね体質」になっていって、
いつしか、ゆだねていることすら忘れてしまう。
 
そんな「ゾーン」に入れると思うんだよね。
 
 
株式の取引でも、最初は
 
「こんな売買ルールで、大丈夫なのかな?」
 
「あーっ!やっぱり損しちゃうじゃないかー!」
 
みたいに、自分で決めた方法を疑いまくる。
 
 
でも、そのうち、疑うとかそんなこととは違う感覚の
「ゾーン」みたいのに入れる瞬間が、
ちょっとずつ増える。
 
それと同じような気がする。
 
 
 
いきなり100点満点の「ゆだね」なんて、無理!
 
っていうか、そこを求めないでいいと思う。
 
(もちろん、いきなり出来る人は最高に尊敬する)
 
 
 
大人だからこそ持ってしまう疑念。
 
今までの経験があるからこそ湧いてきてしまう心配。
 
 
でも、そんな過程を通してはじめて、
真の「ゆだねる」という瞬間に触れられると思う。
 
赤ちゃん、子供時代には到達することのできない
「ゆだねる」領域。
 
 
そんな、究極のリラックス状態を
いつかは体験してみたいものだよね。
 
 
「ザ・俗物」の私には、
相当困難な道であることは、間違いない(笑)
 
ではでは。
 

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