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期待という銀行。

最近は、私の「定義好き」が定着してきて、
不思議な依頼が舞い込んでくることがある。
 
それは、
 
「イグゼロさん、○○ってどう定義できますか?
 定義付けしてみてください」
 
といった依頼。
 
 
「なにそれ?とんち?」
 
みたいな感じだけれど、
実際にいくつか「定義してみて!」と
お願い(っていうか、試されてる?)が来る。
 
 
「イグさん、【質問】って、どう定義しますか?」
 
とか、
 
「イグさんなら、【夏】の定義、どうします?」
 
みたいな感じ。
 
 
やたらと難しい感じのが来るけれど、
その都度、一応考えるようにしている。
 
 
そして、今回書こうと思うのは
このような依頼から生まれたお話。
 
 
「イグゼロさん、【期待】って、何ですか?
 【期待】を定義してみてもらいたいのですが?」
 
 
期待、かぁ~。
 
 
と、1分間ほど考えさせてもらって
その時に答えたのが、こちら。
 
 
 
期待とは、
 
 
「自分勝手な理想的ストーリーの前借り」である。
 
 
 
基本的に、ワクワク期待することってのは、
希望的観測に則った未来だ。
 
「こうなっちゃったら、スゴくね?」
 
「もしかしたら、このままいくと。。。
 キャーッ!!」
 
みたいな状態。
 
 
期待している時は、けっこう楽しいものだけれど、
それって、あくまで自分視点の理想であることが多いし、
理想とまではいかなくても、
 
「ここまで来たら、そりゃこうなるだろう?」
 
という、自分の少ない経験に基づいて作った
ストーリーだったりもするよね。
 
 
もちろん、それが悪いわけじゃないんだけれど
 
「期待は、自分勝手なストーリー」
 
ってことが分かってないと、
後で必要以上にガッカリしたり、
下手すると逆恨みなんかも起こしてしまう。
 
 
 
あと。
 
 
期待ってのは未来の前借りだよね?
 
未来に現実化した時に喜ぶことを、
ちょっとだけ「前借り」して、
妄想の世界で喜ぶ。
 
 
だから、期待が高すぎて
現実化する前に喜びすぎると、現実化しても
 
「ああ。。。こんなものか」
 
と、ちょっと喜ぶ度合いが減る。
 
 
そりゃ「前借り」しちゃっているんだから
仕方ない。
 
 
 
また、ワクワク期待していたことが
現実化しなかった時は
 
 
「えええ?
 ぜったい、こうなると思っていたのにぃ~」
 
 
と、ガッカリすることになる。 
 
 
 
これは、「前借り」していたことが
現実化しなかったわけなので、
 
ガッカリすることで、その前借りを「返済」
しているようなものだろう。
 
 
 
、、、と。
 
 
ココまで書くと、
 
「うーん、ってことは、
 期待なんか、しない方がいいんですかね?」
 
「自分勝手な理想的ストーリー、
 しかも前借りなんて言われると、
 ワクワク期待するのが、ダメな気がします」
 
なんて思ってしまう人もいるかもしれない。
 
 
 
しかーしっ!!
 

個人的には、
 
「せっかく生きているんだから、
 いろいろ期待した方が楽しいよね?」
 
という「期待賛成派」に一票を入れたい。
 
 
理由は2つ。両方とも簡単な理由だ。
 
 
 
1つめは、
 
「期待しないと、現状以上の事はできん」
 
ということ。
 
 
これはお調子者の私だけかもしれないけれど、
全てを冷静に判断して大きなことをやる、
っていうのは、個人的には苦手だ。
 
 
それよりも、
 
 
「もしかしたら、こうなっちゃうかも!?」
 
「えええ?ちょっとステージ上がっちゃう?」
 
 
と期待しながらじゃないと、
 
「えいやっ!」
 
という前進スイッチをいれにくい。
 
 
 
これは、例えば、大きな事業をこれからやる時に、
自己資本だけでは足りなくて
銀行にお金を借りるのにも似ている。
 
 
銀行にお金を借りて、
そのお金で設備投資をして、
今までとは違うステージで事業を行なってゆく。
 
 
それと同じように、
「期待」することによって、
お金じゃなくて「元気」を借りる。
 
その「元気」を元手にして、自分を前進させる。
 
そうすることによって、
「期待」から元気を前借りしなければ
行けなかったステージにまで、到達できる。
 
そんな気がしているんだよね。
 
 
 
あともう1つ理由がある。
 
 
「期待は前借り」って言っているけれど、
この貸主って、誰だろう?
 
 
期待を借りられるってことは、
当然貸してくれる人がいるんだけれど、
それって、一体だれ?
 
 
 
と問えば、答えは当然
 
「自分自身」
 
となる。
 
 
ってことは、自分が了承しさえすれば、
実は「前借り」した期待がうまくいかなくても、
返済しなくてもいいことになる。
 
 
具体的に言えば、
 
「あーあ、結局期待通りに行かなかったなぁ」
 
とガッカリするようなことになっても、
ずっと「ガッカリによる返済」をし続けなければならない、
という義務は、放棄できるわけ。
 
 
マックスまで高まっていた期待が現実化しなかった時、
 
「あぁ~~あ、そりゃないよなぁ~」
 
なんて思ったりもするさ。にんげんだもの(笑)
 
 
 
でも、別に
 
「ずっとガッカリしていなさい!」
 
「まだ期待した分、ガッカリしていないんだから
 ちゃんと“返済”しなさいっ!」
 
なんてことは、誰にも言われない。
 
すべては、自分の勝手でやめることが出来る。
 
 
そう。
期待を始めたのと同じように、
いつでも勝手に、ガッカリもやめることができる。
 
 
これって、ものすごくオトクだと思うんだよね。
 
 
「今の自分だけじゃ出せない元気を借りて
 前進する力にプラスすることが出来る」
 
「そして、もしうまくいかなかったとしても、
 ガッカリで返済しても、しなくてもいい」
 
 
なにこれ?
 
こんなにノーリスクハイリターンの商品なんて
ありませんわよ!奥さま!(笑)
 
 
 
 
もちろん、感情のコントロールは
完全にはできないってのも理解している。
 
 
「ガッカリしなくてもいい、
 なんて言われたって、ガッカリしちゃいますよ」
 
 
ってのは、ものすごーく良く分かる。
 
なぜなら、私自身が、素晴らしい
“ガッカリ名人”でもあるからだ(笑)
 
 
 
でも、「期待」というものをこうやって定義して、
自分の中に落とし込むことが出来れば、
今よりはきっと、良い事もあるようにも思う。
 
 
 
そして。
 
 
ガッカリを放棄できる最大の特効薬は
  
 
「また新しい期待をする」
 
 
ってことなんじゃないかな?
 
 
 
自分で勝手に創造した期待。
それに「裏切られて」また自分が勝手にガッカリする。
 
 
それなら、また勝手気ままに
新しい期待を妄想して創造しちゃえばいい。
 
 
自分が勝手に作って、自分が勝手に貸して、
前借りする相手も自分なんだから、
それはもはや
 
 
「無限の自分銀行」。
 
 
 
うまく期待とお付き合いしていけば、
数年後、今は全く想像していなかった自分に
出会っちゃうかもしれないよね。
 
 
ではでは。
 

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