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宙に浮かぶダルマ。

この前はじめてお会いできた
「人生の先輩」「あり方の先輩」
Yさんに、またお会いして話すことができた。
 
 
Yさんとの記事のバックナンバーはこちら
http://ameblo.jp/exero/entry-11890752275.html
 
 
3時間くらい、じっくりと向き合って
お話を伺う事ができたんだけれど、とにかくYさん
 
「フトコロが深い!」
 
この一言に尽きる。
 
 
どのような現象にもとらわれず、
自在に思考をかけめぐらせる。
 
知識に溺れず、自らの知恵に従い、
出会った人に愛を注ぐ。
 
 
会うたびに
 
「ああ、私もこんな人になろう!」
 
と、頭が下がる思いを抱きながらも
自分なりの前に進む道を歩む元気をもらう。
 
そんな人なんだよね。
 
 
 
で。
 
今回も本筋とは別の話をシェアさせてもらうね。
(本筋の話は、また別の機会で。スマンのぉ)
 
 
色んな話をしている中で、Yさんが
 
 
「私、自分の講座に出てくれる人に
 
 “妄想でいいので、あなたの欲しいお金の
  金額を書いてください”
 
 って聞くことがあるの」
 
 
と話をしてくれた。
 
 
受講生の人たちは、もちろん様々な金額を書く。
 
 
100万円の人いれば、
1,000万円の人もいる。
 
1億円の人もいれば、
世界に流通している以上のお金を
書く人まで、様々らしい。
 
 
そして、例えば1,000兆円の次の単位
「1京(けい)円」を書いた人に
 
「じゃあ、そのお金を使って、何をするの?」
 
と聞くと、その受講生さんは
 
「ええと、、、あの、、、」
 
と、少し戸惑った後に、やりたいことを言う。
 
 
でも、どう考えても、そこまでのお金が
必要じゃないことだったりするらしいんだよね。
 
(このお金のワークは、もっと深い話なんだけれど
 バラし過ぎるのも申し訳ないので、この辺で)
 
 
妄想なのに、控えめな金額しか言えないってのも
それはそれで気づきだけれど、
 
「だったら、大きく言ってやればいい!」
 
みたいなのも、そこには気づくべき自分の
あり方がある。
 
そんな気がする。
 
 
 
 
そして、この話を聞かせてもらった時に、
 
「ああ、他にもこういう例って、あるなぁ!」
 
なんて思ったわけ。
 
 
たとえば、
 
「人類の平和に、愛と貢献をもって
 全力でがんばります!」
 
なんて言っている人が、家族関係がボロボロだったり
友達がガラーンとしていたりする例もある。
 
 
また、
 
「私は天の声が聞こえるスピリチュアルマスターです」
 
なんて言っている人が、人の話を聞いていなかったりする。
 
 
まぁ、それはそれで良いって言えば良いのだけれど、
個人的には、ちょっと「?」と思ってしまう場合もある。
 
 
そんな話をしている中で、Yさんと私の
どちらが言ったのかは忘れてしまったんだけれど、
 
「これって、宙に浮かんでいるダルマですね」
 
みたいな話になった。
 
 
 
どういうことか?というと。
 
 
昔のおもちゃに「ダルマ落とし」ってあったじゃない?
 
円筒形の木のブロックを何段も積んで、
そのてっぺんにダルマさんを乗っける。
 
そして、遊びでは木槌を使って
ダルマさんが落ちないように
下のブロックを飛ばしていく遊び。
 
 
この「ダルマ落とし」って、
当然のことながら、下のブロックがあるからこそ、
ダルマさんはブロックに乗っていられる。
 
当たり前だ!
無重力空間じゃあるまいし、
フワフワ浮いていたら、気味が悪い!
 
 
 
でも。
 
 
現実世界では、この
 
「気味の悪いダルマ」
 
みたいになっちゃっている場合があるなー、と。
 
 
 
つまり。
 
 
たとえば「愛情」をダルマ落としだとすると。
 
 
本来ならば、「愛情」というダルマは、
 
一番下に「自分」というブロックがあり、
たとえば次に「家族」があり、
その上に「友達」とか「所属組織・コミュニティ」があり、
 
「地域」「日本」「人類」「世界のすべて」「宇宙」
みたいに積み重なっていくもののように思う。
 
 
もちろん、人によってブロックの順番が多少違っていたり、
大きくて安定しているブロックもあれば、
やや不安定なブロックもあっていい。
 
でも、さすがに一足飛びに
 
「人類」とか「世界」「宇宙」みたいに
大きなステージには行けないように思うんだけれど、
あなたはどう思う?
 
 
「自分」というブロックですら
あやしいものなのに、突然「宇宙」というダルマが置いてある。
 
 
それって
 
「フワフワ浮いているダルマ落としのダルマ」
 
に、なっていたりしない?
なんて思うわけ。
 
 
 
私は別に
 
「人類の平和を目指すのがダメ」
 
とか、
 
「スピリチュアルなんて、しゃらくさい」
 
なんて言いたいわけじゃない。
 
 
ただ、どんなに不安定であってもいいから、
少なくともその下のブロックである
 
「自分」や「家族」
「所属コミュニティ」といった身近なものからも
目をそむけない方がいいんじゃないかな?
 
なんて思う次第。
 
 
 
「私は人にものを教える人だ!」
 
「私があなたを救ってあげる」
 
「あなたの幸せを祈らせてください」
 
なんて言う前に、もっと自分が出来る、
やるべき事やろうぜ?
 
とも思っちゃったりもする。
 
 
 
 
「勘違いスピリチュアルの人は、
 宇宙を避難場所にしている」
 
そんな言葉も、飛び出て来た。
 
 
そんな風に言いつつも、
Yさんは、どんな人でも受け入れてくれる
大きな器を持っているんだけれどね。
 
 
さてさて。
 
今回、Yさんと話をさせてもらい、あらためて
 
「色々と話をさせてもらったけれど、
 私自身、“宙に浮かぶダルマ”になってないかな?」
 
なんて、ふり返る機会もいただいた。
 
 
 
だって、どう考えても、
 
「セミナーでエネルギーの話をします」
 
「気功とかスピリチュアル大好きです」
 
「講師として、いろいろ伝えさせてもらっています」
 
という時点で、私の存在は黄色信号どころか
限りなく赤信号に近い(笑)
 
 
ホント気をつけないと、
こんな記事を書いている私自身が
 
「最もフワフワ浮いているダルマ」
 
に、ある日突然気がついて垂直落下!
みたいな自体になりそうだ(笑)
 
 
「地に足をつけた」活動を
地道にやっていきたいと思います。
 
自戒を込めて。
 
 
今回も、Yさんありがとうございました!
 
 
ではでは。
 

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