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ジコチューへの覚悟

ずいぶん昔の話になるけれど、
ある先生に言われたひと言が、けっこう深い。
 
 
そのひと言とは、
 
「まず最初に、覚悟を決めなければならない事」
 
というテーマで、その覚悟とは、
 
 
 
「自分は、自分のために生きていると覚悟せよ」
 
 
 
というものだった。
 
 
 
はじめ聞いた時には、耳を疑った。
 
だって、それまで学んでいた法則は
 
「人に与えれば豊かになってゆく」
 
とか、
 
「誰かのために生きることで、
 自然に力が湧くし、成功してゆく」
 
みたいな教えばかりだったからね。
 
 
まったく真逆の教えとも受け取れる
 
 
「自分は、自分のために生きていると覚悟せよ」
 
 
というのは、かなり衝撃的なものだった。
 
 
 
しかし。
 
 
この言葉の意味を深く深く咀嚼していくうちに、
 
 
「ああ、なるほど。
 これを肚におさめないかぎり、
 いつまで経ってもフワフワしちゃうわ」
 
 
と、考えがあらたまっていったんだよね。
 
(そして、今もこの言葉を深く深く噛みしめようと
 日々がんばってもいる)
 
  
 
 
私は、私のために生きている。
 
 
これをあやふやにした状態だと、
様々な障害が起きる。
 
 
たとえば、
 
「私は、誰かのために生きている」
 
とか、
 
「私は、◇◇さんのために生きている」
 
となると、必ずその対象への「期待」が生まれる。
 
 
「私がこれだけやっているのに、
 なんであの人は私の気持ちに応えてくれないんだろう?」
 
「私がどれだけ、あなたのために
 時間や労力を割いているのか、考えたことある?」
 
みたいな論理だ。
 
 
もしかしたら、中には
 
「いえいえ、私は誰かのためにすべてを捧げても
 その人になんの期待もしないですし、見返りは求めませんよ」
 
という人もいるかもしれない。
 
 
本当にそうだとしたら素晴らしいし、
それを貫き通してほしい。
 
でも、それってブッダレベルの超人だと思うし、
そのブッダですら、悟りのプロセスにおいては
家族を捨て、国家を滅ぼすくらいの自己中だったんだけど、
ホントにホント?って思う私を許してほしい(笑)
 
 
まぁ、ホントにその境地に立っているのならば
今回の記事はお役に立てそうもないので、
そっと閉じていただければ幸いっす。
 
 
 
 
。。。ってなわけで、
 
やぁ!あらためてこんにちは!
 
よかったわ。記事の続きを読んでくれているのなら、
今回の話が、分かり合える者同士だろうから(笑)
 
 
「自分のために生きている」。
 
 
自分が、今やっていることも。
 
自分の、今の仕事も。時間の使い方も。
 
自分の、今の家族関係、友達関係も。
 
自分の、お金の使い方も。稼ぎ方も。
 
自分の、食べるものの選択、運動、健康状態ですらも。
 
 
全部、自分のために選択して、
自分のためにやっている。
 
 
そこを覚悟すれば覚悟するほど、
自分の中に「行動に対する責任」が生まれる。
 
 
「いや、たしかに色々やってる中には
 自分のためのこともありますけれど、
 他の人に言われて、イヤイヤやっていることもありますよ」
 
というのは、ウソだ。
 
 
「それをやらないでいるデメリット」
 
よりは、やった方がマシだから、
天秤にかけた上で、「やる」ということを
 
「自分のために」
 
選んでいるのだ。
 
 
 
 
そして。
 
 
「すべては、自分自身のためにやっている」
 
という自覚と覚悟を持ったあとに、
 
「誰かのためになること」
 
をやるのは、素晴らしいと思う。
 
 
スタンス的には、
 
「私は、私自身のために
 私の時間や、労力や、お金や、能力などを使う。
 
 でも、結果としてあなたが喜んでくれるのなら
 これほど嬉しいことはない」
 
みたいな感じ?
 
 
自分の好きでやっているんだ。
でも、喜んでくれるんだ!?わーい☆
 
 
っていう考え。
 
 
 
この順番が逆になると、
いつまで経っても幸せを感じにくい。
 
 
こんなに頑張っている「のに」。
 
人さまのために働いている「のに」。
 
 
って、ノニノニ言っているジュースみたいな人になってしまう。
 
 
 
基本すべてが、自分が自分のために決めたこと。
そして、それが結果として誰かのためになった時に
多くのギフトがもたらされる。
 
 
たとえば、
 
ジョギングで走っているのは、誰のためかと言ったら
もう完全に自分自身のため。
 
ただ、あなたが走ることで誰かの役に立つのだったら、
そこから大いなるギフトがもたらされる。
 
 
ビジネスを構築しているのは、自分自身のため。
 
ただ、あなたが構築したビジネスが
だれかのためになるのであったら、
そこではじめて売上げがもたらされる。
 
 
人を好きになるのは、もう完全に自分勝手。
 
ただ、あなたの好意や恋心が相手の心を溶かすのであれば、
それは大いなる奇跡になるだろう。
 
 
生きているのは、他の誰のためでもなく自分のため。
 
ただ、あなたの命や時間が誰かの幸せにつながる時に
どうやら不思議な秘密のひとつが明かされることになる。
 
 
 
このスタートを逆にしているうちは
フワフワと地に足がつかなくなる。
 
そんな風に思うんだけれど、いかがでしょう??
 
 
変なたとえだけれど、
 
 
「俺は、俺さえよければいいんだよ!」
 
「俺は金じゃ動かない。大金で動くんだよ!」
 
と言っている不良が、ウサギの世話とかをしているのと、
 
 
「私はどうなってもいい。みんながよければ!」
 
「愛と貢献です!」
 
とか言っていながら「相談料30分5千円ですー」
と言っている人の、どっちがうまくいくと思う?
 
 
 
個人的な好みはあると思うけれど、ちゃんと
 
「私は、自分のために生きています」
 
と公言している人の方が、けっこう好きだ(笑)
 
 
まぁ、私がヒネクレているのかもしれないけれどね。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
「自分は、自分のために生きていると覚悟せよ」
 
 
けっこう衝撃的な言葉かもしれないけれど、
この覚悟は大切だと思う。
 
 
自分の言動の全ては、自分で決めている。
なにより、自分のために。
 
 
その覚悟が固まれば固まるほど、
実は「誰かのためになるギフト」を
生み出しやすくなるような気がするし、
 
 
「ああ、あの人も当然、
 あの人自身のために生きているよね」
 
 
と、他の人のことを受け入れやすくなるようにも思う。
 
 
 
ということで、
 
 
今回も、私が私のために書いている記事を
最後まで読んでくれてありがとう。
 
 
これからも、完全ジコチューで
書いていきたいと思います(笑)
 
 
ではでは。

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