快楽の構成要素って、なんだろう?
そんなことをちょっと考えてみた。
もちろん、快楽とひと言で言っても、
それこそ無限の種類があるから
一概には言えないんだろう。
でも、強烈なインパクトのある快楽は、
ある2つの構成要素で出来ていることが多い。
と、また仮説を立ててみた。
この世でもっとも強い快楽をもたらす
2つの構成要素。
それは、
「苦痛」
と
「勇気」
で出来ているんじゃないかな?
私たちがこの世に生まれてきた瞬間は、
まず呼吸するのでさえも恐怖の対象だったと思う。
あたたかい胎内に包まれていた状態から、
急に外界の旅が始まる。
そして、まず最初の試練として、
「呼吸する」という苦痛があったわけだ。
でも、そこに(やむを得ないという状況もありながら)
「勇気」をもって息を吸い、はいてみる。
すると、この世で生きていくには
なくてはならない空気を取り入れることができる。
苦痛を、勇気をもって乗り越えて、
快楽にした瞬間だ。
その後も、苦痛は続く。
食べ物という、異物を取り入れるという苦痛。
それを、勇気をもって試してみると、
「食」という快楽を手に入れることが出来る。
立つという、自分の体を起こす苦痛。
歩くという、順番にバランスを崩す苦痛。
それを、勇気をもって試してみると、
急激に世界が広がる快楽を手に入れることが出来る。
そして、
私たちは、
他人と触れ合う苦痛を乗り越えて、友達を作り、
未知のものを体験する苦痛を乗り越えて、学び、
拒絶される可能性という苦痛を乗り越えて、恋をし、
異性を受け入れるという苦痛を乗り越えて、愛し合い、
大きな障害という苦痛を乗り越えて、賞賛を浴びる。
苦痛を乗り越えなくても得られる快楽も
あるにはあるだろう。
でも、
それは、過去に乗り越えてきた苦痛があるから
すでに快楽になっているものにすぎない。
生後はじめて食べるものがアメ玉だったら、
それは恐怖と苦痛以外のなにものでもないだろう?
だとすると。
快楽=苦痛+勇気
ということならば、
苦痛は、快楽を得るためには必須の要素。
ただ、そこに勇気が加わらなければ、
いつまで経っても「快楽」への化学変化は起きない。
いま、あなたが何かに苦痛を感じているのならば、
それはラッキーなことなのかもしれない。
今までに、あなたが感じたことのない
快楽を得られる種のひとつを、すでに持っているのだから。
でも、
「いつか、この苦痛は快楽になる」
なんて、じっと待っていてもダメで、
もう一つの構成要素を加えなければ
いつまで経っても苦痛は苦痛のままだ。
もう一つの構成要素である「勇気」。
これを、絶妙な配合でブレンドした時、
あなたが苦痛だと思っていたものは蒸発し、
甘美な快楽をもたらしてくれるんだろうね。
そんな私だって、偉そうなことは言えないけれど、
過去を振り返ると、
ほぼすべての苦痛は、勇気をもって快楽に変えてきたなぁ。
なんて思ったので、シェアをしてみたよ。
今、あなたの周りにあること、もの。
どれに「勇気」をブレンドしたら、
最高の快楽になるんだろうね?
ではでは。