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ナナメから『三匹のコブタ』

「ナナメから童話を読む」シリーズとして
『ウサギとカメ』『アリとキリギリス』
と書いてきたら、
 
「じゃあ、今度は
 “三匹のコブタ”お願いします」
 
とリクエストがやってきた。
 
ようしっ!書いてやろうじゃないか(笑)
 
 
では、まずはいつものように
『三匹のコブタ』のあらすじから。
 
 
むかしむかしあるところに三匹のコブタがいて、
それぞれワラの家、木の家、レンガの家を
作ったところオオカミがやってきて
ワラの家を破壊し木の家を木っ端みじんにし
今度はレンガの家で破壊衝動を満たそうとしたら
逆にやられてしまいましためでたしめでたし。
 
 
っていう話です。
ふぅ、我ながら分かりやすい(笑)
 
 
さてさて。
 
普通、この『三匹のコブタ』から何を学べるか?
というと、
 
「セキュリティは大事だよね」
 
「セ○ムしてますか?」
 
ということだと思う。
 
え!?違う?
 
 
じゃあ、
 
「コツコツとした積み重ねがあるから
 いざという時も安心だよね」
 
「しっかりとした土台があるものは
 盤石だよね。安心だよね」
 
ということかな?
 
 
たしかに、そんな風な教訓も教えられるかもしれない。
 
しかし、これ、家が完成する前にオオカミが来たら、
まっさきにアウトだったのは、
時間をかけてレンガの家を作りかけていたコブタだよね?
 
なんていう軽いジャブのナナメ読みから、本題へ。
 
 
 
さて。
 
フォーカスを、コブタからオオカミに変えてみよう。
 
オオカミは、ワラの家を吹き飛ばすことが出来た。
そして、木の家も壊すことが出来た。
 
しかし、レンガの家は壊すことができずに、
エントツから家の中に潜り込もうとしたら、
エントツの下には、グラグラに煮えた鍋が待っていた。
 
 
では、このオオカミの失敗の最大の原因は何か?
 
それは、
 
「慢心」
 
だと思うんだよね。
 
 
「オレは、ワラの家も吹き飛ばすことが出来た。
 木の家だって、ぶっ壊してやった。
 しょせん、コブタの浅知恵なんて、こんなもんだ」
 
と、高をくくったのがオオカミの運の尽き。
 
 
今までのアプローチでは壊すことができないレンガの家。
でも、オオカミには今までの成功体験がある。
 
そこで、
 
「ふふん、オレ様の方が賢いに決まっている」
 
と、安直なアプローチ転換である
「エントツから入る」を採用した。
 
 
本来ならば、
 
「レンガの家を作るとは、コブタながら
 あっぱれじゃ!
 今回は、引き下がることにしよう」
 
とするか、もしくは
 
「なかなかやるな。
 どうやら、コブタはオレが思っていたよりも
 手ごわい相手みたいだ」
 
と、入念にゼロからリサーチすればよかった。
 
 
しかし、自分が「強者」であるという
幻想から脱し切らないまま、奢り高ぶったオオカミは
手痛いしっぺ返しをくらうことになる。
 
 
過去の成功体験にあぐらをかき、
今、目の前で起きている現実を真正面から
受け入れることが出来ない。
 
そんなオオカミの「慢心」が、
悲劇を生んだといえるだろう。
 
 
 
 
で。
 
ここからが、ナナメ読みの本領発揮(笑)
 
 
この後、この「慢心」は、あるところに伝播している。
 
そう。それはもちろん、
「レンガの家を建てたコブタ」にだ。
 
 
「あのオオカミを撃退したレンガの家!
 これはもう、完璧な家だ!」
 
と、コブタは喜び勇んで踊り狂ったことだろう。
 
 
「レンガの家が一番!」
 
「レンガの家にさえいれば安心」
 
そんな風に、「レンガの家依存」になっていったのは
容易に想像できる。
 
 
オオカミは、自分自身の力に慢心を抱き、
コブタは、自身が建てた家に慢心を抱く。
 
自分の力、自分の技術、
どちらにあぐらをかくのも「慢心」には違いない。
 
 
「オオカミを撃退した」
というのは、撃退した直後から
「過去の成功体験」にすぎない。
 
もし今度、オオカミがゾウを引き連れてやってきたら
レンガの家でも、ひとたまりもない。
 
 
オオカミの慢心を撃退したコブタが、
今度は慢心を抱く。
 
もう、醜い人間社会の縮図としか
読み取りようがないね、この物語は(笑)
 
 
 
でもまぁ、ホント「慢心」って、
色んなところにはびこっている。
 
昔、映画業界はテレビが出来た時に
 
「そんな小さな画面で、何が出来る?
 しかも、有力な俳優は全部わたしたちが
 握っているんだ」
 
と、人気のある俳優さん、女優さんを
テレビには出させないという安易なアプローチで
テレビをつぶしにかかった。
 
しかし、テレビ業界は、
自分たちの力で新しい俳優を育て上げ、
一気に映画界を斜陽産業にしてしまった。
 
 
そんなテレビが、今度は「慢心」をいだく。
 
ホリエモンさんなどが
 
「テレビとネットを融合させましょう」
 
と打診してきた時に、口には出さねど、
 
「ネットとかいう怪しいメディアで
 小銭稼いだだけの若造が、なにをほざく」
 
と、一笑に付した。
 
 
経緯はどうあれ、その後ホリエモンさんは逮捕され、
ややアンダーグラウンドな存在になってしまった。
 
が、
 
そんな風にふんぞり返っていたテレビ業界は
その後、代償を支払うかの如く
衰えてしまっているようにも見える。
 
歴史に「もし」はないけれど、
仮にあの時、ホリエモンさんの話に耳を傾け
 
「テレビとネットの融合」
 
を試していたのならば、また違った未来が
見えていたのかもしれないよね。
 
 
 
慢心を抱いていた強者を打ち破ることにより、
今度は、強者を打ち破った本人が慢心を抱くようになる。
 
まぁ、それが自然の摂理と言えば摂理なんだろうけれど、
出来る限り、慢心の落とし穴には落ちないように
お互い気をつけていきたいものだよね。
 
 
そう言えば、ワラの家を作ったコブタも、
木の家を作ったコブタも、
 
「オオカミなんか こわくない♪
 こわくないったら こわくない♪」
 
なんて歌っていた。
 
これも「慢心」の気持ちがなければ
歌えない歌だよね。
 
 
ワラの家を作ったコブタも慢心。
 
木の家を作ったコブタも慢心。
 
オオカミも慢心。
 
そして、レンガの家を作ったコブタも
おそらく慢心を影を落とす。
 
 
ああ、どこまでも続く慢心のリレー、
哀れなり。
 
 
もし小さな子に
 
「『三匹のコブタ』って、どんなおはなし?」
 
って聞かれることがあったら、
 
「ああ、人の慢心、そして業を
 痛烈に描いた作品だよ」
 
と、やさしく教えてあげてくださいね(笑)
 
ではでは。
 

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