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ナナメから『かぐや姫』

先日、ラジオでもちょっと話したので
ナナメから童話シリーズを書くことにします(笑)
 
 
『かぐや姫』『竹取物語』は、
日本最古の物語でもあるので、
ちょっと茶化すのに抵抗がある。
 
が!やるからにはやるぜ!(笑)
 
 
さてさて、ではいつものように
あらすじを。
 
 
昔々あるところに竹取りの翁っていうじいさんがいて
金色に光る竹を切ったら美しい女の子が出てきたから
育てたところえらいべっぴんさんになって
色んな男や帝がむらがったけれどフって月に帰りました
めでたしめでたし。
 
っていう、心温まるストーリーです(笑)
 
 
 
今回、この記事を書くために、あらためて
話を復習してみたんだけれど、
これって、すごい物語だね。
 
女性の方には、どう受け取られるか
分からないけれど、かぐや姫って、
 
「究極の女性性の像」
 
だと思った。
 
 
女性ならば誰もが欲しいと思うであろう
最高峰の美を、生まれながらに持っている。
 
そして、男性が持つことのできる最高の力である
「権力」「ステータス」に、決してなびかない。
 
だって、5人の貴公子にもなびかず、
帝の求婚も断るんだぜ?
 
 
今で言うと、
 
ビジネス界の若手社長とか、
 
芸能一のイケメンとか、
 
ハリウッド最高のアクションスターとか、
 
サッカーや野球のトップ選手とか、
 
アラブの石油王とかを全部なぎ倒したあげく、
 
皇室、宮内庁のプッシュにも屈しない。
そんな感じでしょ?
 
 
どんだけなんだよ、かぐや!?
そんなことだと、婚期逃すぜ?
 
と思っていたら、月に帰っちゃったんだけどね(笑)
 
 
 
そして、たぶん、古今東西の物語の中で、
かぐや姫が飛び抜けてすごいことがある。
 
もう、ダントツNo.1で、
 
「何もしない」
 
のだ。
 
 
本人は、本当に何もしない。
 
竹取の翁に発見され、大切に育てられ、
求婚をことごとくスルーし、
月の使者のお迎えを、ただ受け入れる。
 
 
こんなに「何もしない」主人公は、
他に類を見ない。
 
 
女性が主人公の昔話でも、
 
鶴の恩返しの鶴は、身をなげうって反物織るし、
 
雪女や天女の羽衣の天女だって、結婚して料理洗濯する。
 
親指姫は、何回も誘拐されては自力で脱出する。
 
シンデレラは計略を練って王子に近づく
(という見方は、以前ナナメから書いた)
 
白雪姫は、追放された森をさまよい、
毒りんごを食べさせられる。
 
人魚姫は恋をして、声を捧げ、
最終的には海の泡となる。
 
赤ずきんちゃんはお届けものをするし、
 
マッチ売りの少女なんて、商売で苦労する。
 
 
かぐや姫は、そんな女性主人公たちと比べても、
ぶっちぎりで何もしない。
 
唯一対抗できそうなのは
『眠れる森の美女』の眠り姫だが、彼女は
「100年眠る」という
 
「なにそれ?苦行?」
「そんなことしたら、悟っちゃうわ!」
 
という目に合っているから、
やはり、かぐや姫がぶっちぎりだ。
 
 
かぐやさんがやったことと言えば、
 
「あたし、仏の御石の鉢が欲し~い☆」
 
と貴公子の1人にねだったかと思えば
 
「えっとぉ、根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝
 プレゼントしてくれる?」
 
と別の男にふっかけ、
 
「焼いても燃えない布、持って来てくれなきゃイヤ!」
 
「龍の首の珠くらい、手に入るでしょ?」
 
「子安貝ちょうだい。ただし燕が産んだやつね」
 
と、お願いばっかりして、男たちが頑張っても
 
「な~んだ、ダメだったんだ。じゃあバイバイ」
 
とフっただけ。
 
 
世の女子がマンションとか宝石ねだるのなんて、
かわいいと思えるレベルのワガママさだ(笑)
 
 
で、かぐや姫本人は何をやったかと言うと、
 
「美しい」
 
という生まれながらに持っている
資質を磨こうともせず、
老体に鞭打ってがんばる
おじいさんに育ててもらっただけ。
 
(まぁ、翁はお金持ちになるんだけれど、
 それはかぐや姫本人の努力なのかは分からない)
 
 
「持ち前の美しさで男をブンブン振り回し、
 自分は何もせず、最終的には誰にもなびかずに、
 どっか行っちゃう」
 
人類史上最高のワガママ女とは、
かぐやさん!あなたです!
 
 
 
でね。
 
ここまで考えて、
 
「じゃあ、究極の男性性の物語とは
 どんなものなんだろう?」
 
「ここまで何もせずにヒーローとなった
 物語って、あるだろうか?」
 
と妄想を膨らませていったんだけれど、
 
男性の場合は、かぐや姫レベルで何もしないで
ポジティブなヒーローになった人って
いないんだよね。
 
少なくとも、私が思いつく限りでは。
 
 
何もしない男は、基本あわれな末路になる。
 
桃太郎も、浦島太郎も、一寸法師も、金太郎も、
わらしべ長者も、ピーターパンも、
ジャックと豆の木のジャックも、ピノキオも、
 
とにかく「何か」はする。
 
何もしてないようなタイトルである
『三年寝太郎』の寝太郎も、
三年寝た後むくりと起きて、川をせき止めたりして活躍する。
 
本当に何もしない男性は、
物語の主役にはなりえないんだよね。
 
 
 
そこからさらに妄想が飛躍していくんだけれど、
 
どうやら女性は、
生まれながらにして女性である気がする。
 
女性として生まれたら、程度の差はあっても
女性として扱われることが多いのではないだろうか?
 
もちろん「女性は努力していない」なんて
言うつもりはない。
 
ただ、女性、というよりも女性性というものは
「ただある」ことで輝けるものなのかもしれない。
 
だから『かぐや姫』というキャラクターが主人公でも
物語として機能し、受け継がれている。
 
 
しかし、男性(というか男性性)は違う。
 
何かを成し遂げないと、男性は男性になることができない。
 
「俺は男だ!」
 
と、自分も、他の人も認めてくれるようなことを
せずにはいられない。
 
そうじゃないと、少なくとも社会上では
「男」と認めてもらえない、
という強迫観念を、バカな男は持ち続けている。
 
 
昔話に
 
「あるところに、何もしない男がいました。
 その男は何もしなかったのですが、
 棚からボタモチのような事が次々に起こり
 素敵な女性とも結婚しました。めでたしめでたし」
 
みたいなものがあっても、
世の子供たちには響かない。
 
 
 
女性は、生まれながらに女性として価値がある。
 
男性は、生まれてから自ら男にならなければならない。
 
 
もしかしたら、そんな風に人間のDNAに
刻み込まれているのかもしれない。
 
進化の過程で、そんな種が生き残ってきたのかもしれないね。
 
 
 
ですので。
 
私を含めた男性の皆様。
男はつらいよ!ですが、頑張っていきましょう!
 
 
女性の皆様。
男性が頑張れるように、ブンブン振り回してくださいませ。
 
・・・お手柔らかに(笑)
 
 
 
 
あり得ないほどの女性像で、
人類のDNAに刻み込まれた真実を描く『かぐや姫』。
 
これからも人々に愛され続ける作品なのでしょう。
いや、我ながらすごい発見だわ(笑)
 
ではでは。
 

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