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王様の感謝、乞食の感謝。

まぁ、たぶん今回の記事は(も?)
批判が来るんだろうなー、と思いながらも
書かずにはいられない(笑)
 
 
さて。
 
 
「感謝の気持ちが大切です」
 
「感謝することが成功の道です」
 
 
みたいなメッセージって、けっこうたくさんあるよね?
 
 
ただ、個人的には
 
 
「そういうメッセージを発信している人に限って
 直接会うと、大して感謝しているように見えないんだけど?」
 
 
という疑問があったのね。
 
 
 
こちらが好意で何かをしても大して喜ばないし、
 
常に上から目線だし、
 
人として、どうなの?と思うような人もいる。
 
 
 
でも、
 
なぜかそういう人は、けっこう運を味方につけていて
世の中を楽しんでいるように見える人も多い。
 
 
これって、どうなってるの?
 
と、不思議に思っていた。
 
 
 
だけど、つい最近
 
 
「あー、なるほどね!
 感謝の効能が機能するのは、
 王様の感謝なのかもしれない」
 
 
と理解をし始めた。
 
(まだ、なんとなくだけれど)
 
 
 
 
たぶん、
 
感謝には2つの種類がある。
  
 
ひとつは「王様の感謝」で、
もうひとつが「乞食の感謝」。
 
 
私なんかがよくやる感謝は、
「乞食の感謝」で、これは
 
 
「自分に足りないものを
 提供してもらえた時にする感謝」
 
 
のこと。
 
 
 
たとえば、
 
 
お金がない時に、お金をもらった。とか、
 
愛情が足りない時に、優しくしてもらった。とか、
 
お腹が減っている時に、アンパンをもらった。とか、
 
病気が治った時に、あらためて健康に感謝。とか、
 
 
そういう類の感謝。
 
 
 
こういう時に湧きあがってくる感謝も
もちろん素晴らしいものだろうけれど、
これはたとえば天皇陛下さまが
 
「国民のみなさまに、感謝します」
 
と言っている感謝とは、質が異なるように思える。
 
 
 
どちらかと言うと、
 
「ダンナぁ~、このケチな俺っちに
 少しばかりのお恵みを。。。」
 
という男が小銭をもらった時に
 
 
「へっへぇ~、おありがとうございぃぃ~」
 
 
というのと、どちらに近いか?というと、
後者のような気がする。
 
 
 
この「乞食の感謝」は、
受け取ったものに対する「対価」という側面もあるので、
それ以上の奇跡は起きない。
 
 
もちろん、「対価」であったとしても、
感謝しないのは「対価を支払ってない」ということになるので、
人間的によろしくない。
 
 
ただ、
 
「感謝してるから、この先いいことあるかも☆」
 
みたいに思うのは、ちょっとムシがいいのかもしれないよね?
 
 
 
 
「王様の感謝」は、そうではなく、
 
 
「自分は充分満ち足りているものに
 あらためて感じる感謝」
 
 
であるように思う。
 
 
 
呼吸できていることに感謝する。とか、
 
毎日太陽がのぼってきてくれてありがとう。とか、
 
仕事があるって、すてきだな。とか、
 
健康な時に感じる、健康への感謝。とか
 
 
そんなものたちだね。 
 
 
 
「王様の感謝」は、すでに自分が
満ち足りているものにする感謝なので、「対価」ではない。
 
 
なので、そのような気持ちで毎日を過ごしていると、
不思議な「奇跡」が起きたりする。
 
 
素晴らしいよね。
 
 
 
 
さて。ニヤリ。
 
 
 
ここまでだと
 
「ああ、私も“王様の感謝”をするようにしよう」
 
みたいな話で終わるんだけれど、
言いたいのは、そこじゃない。
 
 
我ながら、
 
「ここで終わっておけばキレイなのに」
 
と思うんだけれど、そうじゃない。
 
 
 
 
今回のメインテーマは、
 
「王様の感謝をするようにしようね」ではなく、
 
「王様の感謝をしている人は、気をつけろ!」です。
 
 
 
 
基本、「王様の感謝」が自然に出来る人は、
豊かで満ち足りている。
 
 
そして、奇跡が起きることにも慣れているし、
そのことに感謝もできる。
 
 
ただ、
 
その王様の状態に慣れ過ぎてしまうと、
人がやってくれた事に対して感謝をする
 
「乞食の感謝」
 
の感覚が、麻痺する。
 
 
 
奇跡が当たり前、という感覚で、
 
人が何かをしてくれたという事に関しても
 
 
「空気があって、ありがとう」
 
 
と並列の感覚なので、「乞食の感謝」しか知らない人にとっては
 
 
「もう少し喜んでくれてもいいんじゃない?」
 
「え?それだけ?」
 
 
みたいに捉えられて、結果として
 
 
「あの人は、傲慢だ」
 
「もう、あの人には、何もしてあげないっ!」
 
 
みたいにもなる恐れがある。
 
 
 
ま、
 
 
「わたしは王様、女王様だから、それでいい」
 
「そんな人は、私のそばにいなくていい」
 
 
という場合はいいけれど、そうじゃない場合は
「乞食の感謝」も、しっかりと意識した方が
変に敵は作らないで済むかもしれないね。
 
 
 
相手が「乞食の感謝」しか知らない人であればあるほど、
きちんと言葉や態度、物品などでお返しする、ということを
意識するといいかもしれない。
 
そこを意識すればするほど、
あらぬ誤解は招かなくなるし、ファンが増えるだろう。
 
 
 
と。
 
 
ここまで読んでくれたら
気づいちゃってるかもしれないけれど。
 
 
 
もし、
 
 
「あの人は、感謝の気持ちが足りない!」
 
「あの人に何かをしてあげても、やりがいがない」
 
 
と思ってしまったら、その時点で、自分が
「乞食の感謝」の思考になっているということになるよね?
 
 
 
それがダメ!とは言わないんだけれど、
 
 
「感謝が欲しいから、なにかしてあげる」
 
 
というのは、感謝を対価にした取引でしかないし、
それは好意じゃないのかもしれない。
 
(まぁ、人間だからそんなに割り切れるものではないけれどね)
 
 
 
「乞食の感謝」だけをしていて、
奇跡を願うのは、もしかしたらそれこそ傲慢なのかもしれないね。
 
 
 
 
 
 
え? 私?
 
 
私は純度100%の「乞食の感謝」思考なので、
何かをしたら、何かでお返ししてほしいし、
 
「空気さんありがとう」と思っている陰で
「空気にも感謝できる俺、カコイイ!」と思ってるよ?笑。
 
 
 
まぁ、できる限り
 
「王様の感謝」もできるように、
人間性を磨いていきたいと思います。
 
 
ではでは。

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