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聖書に見る人間交差点。

今回は、我ながら危ない橋を渡るなぁ、
と思える題材を取り上げよう。
 
 
なんたって、「ナナメから見るイエスキリスト」
みたいなものだからね。
 
 
今回の話に入る前に、一応断っておくと、
 
私は特定の宗教の信者ではないし、
それぞれの宗教に素晴らしい教えがある、と思っている。
 
 
また、キリスト教、聖書について
深い含蓄があるわけでもない。
 
 
なので、熱心なキリスト教信者の方は、今回の話は
 
「はぁ?イグゼロ全然わかってない!!!」
 
と思うこと、うけあいなので、
読まない方がいいかもしれない。
 
 
でも、思いついたから書いちゃう(笑)
 
 
 
 
 
いやね。
 
 
イエスキリストがゴルゴダの丘で
はりつけにされる前後のエピソードだけを切りとってみても、
 
「いやぁ、いろんな立場があるなぁ」
 
なんて思うんだよね。
 
 
もちろん、
 
イエスキリスト本人も、
これから話に出す使徒さんたちも、
私みたいな凡人とは違う。
 
だから、もっと崇高な考えがあったのだろう。
 
 
ただ、仮にもし私がそれぞれの立場だったら
どんな風に考えるだろう?
 
ということを妄想してみたんだよね。
 
 
 
今回妄想してみたのは、3人。
 
 
イエスキリストさんと、ユダさんと、
イエスが一番信頼していたであろうペテロさん。
 
 
 
今回の妄想に関連する、
彼らの事実ベース(?)のことは、こんな感じだ。
 
 
・イエスさんの教えに感激し、
 ユダさんもペテロさんも
 
 「一生ついていきまっせー!!!」
 
 とイエスさんの弟子になった。
 
 
・ユダさんは、銀貨30枚で
 イエスさんを売った。
 
 
・ペテロさんは
 
 「私は絶対裏切りません」
 
 と言っていたのに、イエスさんの
 
 「いや、お前は鶏が鳴くまでに
  3回、私を知りませんと言うね」
 
 という予言通り、
 
 「お前はイエスの弟子か?」
 
 みたいな追求に対して
 
 「イエスなんて知りません」
 
 と、一日も経たないうちに3回も嘘をついた。
 
 
・イエスさんは、ほとんど弟子が見ていない状態で
 ゴルゴダの丘ではりつけになった。
 
 
・イエスさんは復活し、その後、天に還っていった。
 
 
・その後、ペテロさんを中心に
 
 「俺たち12使徒だぜイェーイ!」
 
 と、弟子たちが教えを広め、世界的宗教になった。
 
 
 
このベースだけを拝借して、
もし私がそれぞれの立場になったら、どう思うだろう?
と、妄想をしてみたんだけれど、
 
いやぁ、けっこうヒドイよ?
 
 

 
 
【もし私がイエスさんの立場だった場合】
 
 
「おい!ちょ、待てよ!
 ユダ、お前うらぎるのかよ!?
 カネ?けっきょくカネなの?
 しかも金貨じゃなくて、銀貨で売っちゃうのユー??」
 
 
「ペテロ、お前、俺に一生ついてくるって言ってたのに
 俺のこと“知らない”って、ナニソレ?
 保身?結局保身??なんだったのよ、俺とお前との時間!?」
 
 
「てか、弟子たち!誰かひとりでも
 “私もイエスさまと一緒にはりつけになります!”
 みたいなやつ、いないの?
 いざとなると、みんなサーっといなくなるって!!
 神の子じゃなくて、蜘蛛の子?
 せめて、ゴルゴダの丘で最期を見届けようよ!」
 
 
「で、俺が復活したら
 “やっぱりさすがだわイエス”
 “オー!イエス!”
 って戻ってきて、さらにオレ達12使徒!って
 都合よすぎじゃない??」
 
 

 
 
【もし私がユダさんの立場だった場合】
 
 
「いや、わたくしが売らなかったら、イエスさん。
 あなたは原罪をつぐなえなかったではありませんか。
 わたくしは、イエスさんというスーパースターを
 生み出すために、あえてヒール役を請け負ったまでですのん」
 
 
「むしろ、ペテロさん。
 あなた、わたくしのことを裏切り者と言えませんよね?
 一番弟子だったのに、“知らない”って、なにごと?
 わたくしは物的にイエスを売ったかもしれませんが、
 あなたはイエスとご自身の魂を売った、ということですのん」
 
 

 
 
【もし私がペテロさんの立場だった場合】
 
 
「ユダ、マジ許せねーっす!
 師匠を銀貨で売るなんて、ほんとヤベー!
 な!?みんな許せねーよな!?」
 
 
「あの時、とっさに“イエスなんて知らない”
 って言えたのも、我ながらさすがの機転だと思うよ。
 俺が生き残らなかったら、12使徒グループ結成できなかったし、
 キリスト教は、こんなに広まらなかったものな。
 な!?みんなもそう思うだろ!?」
 
 

 
 
 
 
。。。とまぁ、そんな感じ?
 
 
繰り返すけれど、これはあくまで「私」が
その立場だったら、こう考えるだろうなぁ、という妄想ね。
 
 
まさか、聖書の登場人物が、
こんな「ダメオトコ列伝」みたいな人格じゃないだろうからね。
 
 
 
 
 
でも。
 
 
これだけ立場によって
いろいろな見方が可能といえば可能なわけじゃない?
 
 
聖書の世界でも、それが可能なんだから、
現実世界で、
 
 
「あいつが悪い、私は悪くない」
 
 
なんて思うの、簡単だよなー、なんて思う。
 
 
いろんな立場が、そりゃできるわけだよね。
 
 
 
さて。
 
 
こんな妄想をし終えたあと、私は
 
 
「神の子であるナザレのイエスさんですら
 弟子にほとんど裏切られた、と見ることもできるんだから、
 凡人である俺に、いろいろあってもしょうがないかー」
 
 
という、不思議な勇気をもらいました(笑)
 
 
 
あなたは今、どんな立場で、
そこで、出来事に対して、どんな解釈をしますか?
 
 
ではでは。

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