最近、また新しいお仕事の話を
していたりするんだけれど、あらためて、
「その人の世界観って、大事だなぁ」
と痛感する。
(もちろん、私も含めてだけどね)
たとえば、
「この商品の、理想的なお客さまは
どんな人が考えられるだろう?」
というミーティングをした時にも、ある人は、
「お客様の年収は、200万円以下」
と、自然に設定をした。
販売をしようとしていた商品は
数万円以上するものだったので、
「それは、マーケティング上、
めっちゃ難しいところを狙うんだねぇ~」
と、他の人に言われて
「はっ!そういえばそうだな」
なんて考え直したりもする。
これは別に年収200万円以下の人を
ターゲットにしちゃいけない、という話じゃなくて、
1ミリも疑問を持つこともなく
自然に頭の中で思い込んでしまっているのが
時としてもったいない話になる。
もしかしたら、もっとニーズを感じている人に
商品を手に取ってもらう機会を、自ら捨てていることにもなる。
で、
これは提供する商品にかぎったことではなく、
普段から目にしたり、手にしたりするサービスや道具の
すべてに当てはまるだろう。
たとえば、
普通の人が見れば料理の道具である包丁も
心が荒んだ人が見れば、
それは「武器」となるだろうし、
ある人にとっては有意義に成長するセミナーも、
別の人から見たら「怪しい」「洗脳」という
イメージが持たれるかもしれない。
外に落ちていた不思議なノートも、
ある人が手に取ればウイングマンに変身できる
夢のノートになるけれど、
別の人が手にすれば、人の命を奪い、
新世界の神になり得る手段となる。笑。
「これが現実なんだよ」
というものの中で、本当に変更できない現実よりも
変更できる現実の方が多い。
少なくとも、現代の日本では、圧倒的にそうだ。
現実は、自分の世界観が決めているし、
そこに何らかの「道具」が入ることによって
リアルに加速度がつく。
お金なんかは、その典型例で、
お金が手に入ったら、自分の世界観が、ものすごく加速する。
最悪な世界観を持っていたら、
あなた(と、あなたのまわり)が、最悪の世界に染まってゆくし、
幸せな世界観を持っていたら、
あなた(と、あなたのまわり)は、穏やかな世界に包まれるだろう。
なので、
自分にとってインパクトのある「道具」を手にする時には、
その前に、自分の世界観の見直しをしておかないと、
けっこうヘビーな状況になってしまうような気がする。
それは、
お金であってもそうだし、
恋愛等のコミュニケーション能力でもそうだし、
健康などもそうだろうし、
自由な時間もそうだろう。
手に入れて、その道具によって現実を引き起こしたあと、
「こんなはずじゃなかった」
みたいに思ってしまうのは、もったいないことだものね。
(つくづく、私もそうなんだけどね)
で。
「じゃあ、その大事な世界観って、
どんな風にできるの?」
「どうやったら、世界観は変えられるの?」
というと、これはもう「環境を変える」のが
一番効果的だろうな、と思う。
さっきの包丁の例でも、
いつもは普通の人でも、
ホラー映画の緊迫した環境に放り込まれれば、
包丁を武器として手に取るだろうし、
厨房に放り込まれれば、
野菜をみじん切りにし始めるだろう。
「ははっ!!
いきなりホラー映画の世界に放り込まれるって!?」
と思うかもしれないけれど、
普段は逆に、そんなに極端な変化じゃないから、
よけい「いつもの環境」ってのは大事になる。
どんな環境に住んでいるのか?
どんな人と、どんな会話を交わしているのか?
どんな習慣を、環境として持っているのか?
そんな普段の日常に、
ポンと新しい「道具」が入ってきた時に、現実が加速する。
そんな風に思う。
お互いに、自分が今いる環境を
大切にしていきたいものですね^^
。。。と、今回この記事を書いたのは、
「あの二つのマンガで、外に落ちていたノートって
実はまったく同じものだったのでは?
そこから、主人公たちの世界観によって
変わっただけなのでは。。。??」
という妄想からはじまりました。
妄想にお付き合い下さり、
ありがとうございます(笑)
ではでは。