僕はコンビニでのバイトを終えると、
いつものようにそそくさとネットカフェへと
足を向けた。
バイト仲間の中に好きな子はいるけれど、
どうせ、こんな僕の想いは伝わらないに決まっている。
それだったら、ネットの世界で
ひとときの夢を見てもいいじゃないか。
「いらっしゃいませ」
無愛想な店員の受付を済ませると、
僕はネットカフェの個室へと歩いて行った。
個室は、2m四方ほどの空間で、
床や壁は、ケガをしないようにクッションで覆われている。
部屋の隅には、これまたクッションで覆われている椅子が
ひとつだけ置いてあり、
椅子の上に、手首まですっぽりと隠れる手袋と、
サングラスが置いてある。
普段と、何も変わらない個室だ。
「よし」
僕はさっそく両手に手袋をはめ、
サングラスをかけた。
そして、サングラスについている起動スイッチを押せば
そこはもう、自由なネットの世界だ。
昔は、ネットといえば画面に映し出される文字や映像を見て、
いちいちキーボードを叩いて何かを発信していたらしい。
昔の人は、よくそんなモノで満足していたものだ。
今は、インターネットにつなげれば、
サングラスを通して見える景色は
現実世界と、何も変わりがない。
手袋を通して触るものは、実際の感触を与えてくれるし、
口に入れたバーチャルな食べ物は、実際に味わう事が出来る。
視覚、聴覚だけでなく、
嗅覚、聴覚、触角すべてで体験できなければ、
今はネットとは呼べないだろう。
現実のネットカフェの専用ルームは狭い。
でも、ネットの世界を通せば、
この部屋は無限の広がりを見せるわけだ。
ネットさえあれば、もう他の体験はいらない。
そんな風にも思えてしまう。
僕は、いつも通り、
自分の「お気に入り」のサイトの中から
今、一番流行しているサイト
「フル・ライフ」
へと行くことにした。
このサイトは、自分のリアルな生活の様子を
他のメンバーと分かち合うためのサイトで、
そこで出会った仲間同士が交流しやすく設計されている。
ここで友達になったメンバーは、すごい人ばかりだ。
毎晩のようにパーティを開いたり、呼ばれたりしている人。
有名人と友達の人。
世界各国に、バーチャルではなくリアルに飛び回って
活躍している人。
なんか難しいけれど、ためになることを
どこかから仕入れてきて、しゃべり続けている人。
現実世界の僕だったら、一生会えないような人とでも
この「フル・ライフ」ならば友達になる事が出来る。
しかも、同じ時間にアクセスしていれば、
その場にいるようにお互いに話すこともできるのだ。
僕は、できる限りすごい人たちと友達になりたかったので、
精一杯、自分の現実が充実しているようにアピールし続けていた。
コンビニでバイトしているなんてことは、もちろん話さない。
「フル・ライフ」の中では、僕は女性にもモテていることになっている。
服装も、バーチャル課金で手に入れた
相当オシャレなものを「フル・ライフ」の中では着こなしている。
また、「フル・ライフ」では、現実にあったことを
仲間に見せ合うような文化があるのだが、
現実にあった飲み会も
「僕と飲みたいと言ってくるファンが
しょうもない居酒屋で飲み会を開きやがった」
という感じで、他の人には紹介をしている。
現実の友達にバレる可能性もないとは言えなかったが、
飲み会の様子の写真は加工してから見せたし、
そもそも僕の顔自体、現実世界とネットの世界では
別の顔にしている。
「バーチャル整形」にお金を払えば、
ネット上の顔や体型なんて、どうにでもなる。
バレるリスクはゼロではないけれど、
そんなリスクなんて、すごい人たちと出会えるという
メリットからすれば、ほんのささいなものだ。
そんな形で、僕はネットでの生活を
充実したものにしていっていた。
「よお!」
と、フル・ライフ友達のジョニーが僕の肩を叩いた。
バーチャルな世界でも、いきなり後ろから背中を叩かれると
びっくりするものだ。
彼とは、ひょんなことから「フル・ライフ」上で出会い、
今ではとても仲良しになった奴だ。
彼は現実世界では、宝石店を経営しているらしく、
世界中、いろいろなところにも年中旅に行っている。
また、彼の「友達リスト」を見ると、
誰もが知っている有名人とも、何人か友達のようだ。
「昔は、ちょっとワルだったんだ」
とつぶやいたりするのも、逆にカッコいい。
昔はワルで、今はビジネスで大成功している人と
現実世界の僕が友達になることなんて、あり得ない。
でも、ここはネットの世界。「フル・ライフ」の世界。
どんなことだって起きてしまうのだから
やめられない。
僕も精一杯虚勢を張って
「よぉ!最近はどうよ!?」
と、ジョニーに返答すると、
「ああ、海外出張ばっかりで
ちょっと疲れたわ」
と言いながら、彼は
「まぁ、一杯飲もう。俺がおごるよ」
と、目の前にカクテルがつがれたグラスを出現させた。
バーチャルの世界のカクテルだが、電子マネーを支払えば
実際に味も、酔いも楽しむことが出来る。
もちろん、ネットから離れれば
酔いは残らない。
僕は
「悪いな。今度はオレがおごるよ」
と言ってジョニーからグラスを受け取ると
二人で乾杯をした。
そこから二人で、たあいもない話をし続けた。
仕事のこと。
自分の夢のこと。
自分のファンに対する対応の仕方など。
僕の方は、半分以上は
その場での創作なんだけれど、
ジョニーは真剣に耳を傾けてくれた。
しばらく談笑を続けていると、
「で?お前、恋愛の方はどうなのよ?」
と、ジョニーが突然、僕に恋愛話を振ってきた。
僕はまさか
「バイト先の女の子が気になっている」
なんてことは言えなかった。
でも、人生経験豊富なジョニーに、
相談をしてみたいとも思っていた。
そこで、コンビニでバイトしているということは伏せ、
仕事上のつきあいということで相談してみることにした。
その女性に恋をしているということ。
まともに話しかけることすら出来ないこと。
自分に自信がないこと。
でも、できれば仲良くなりたいということ。
僕が話をしている最中、ジョニーは、
「なるほどなぁ」
「お前ほどの男でも、そうなのか」
と、真剣に耳を傾けてくれた。
僕が一通り話をし終えると、
ジョニーは僕にアドバイスをくれた。
「ってことは、アレだ。
まだ、お前が嫌われているのか、好かれているのかすら
全然分からないわけだ。
ならお前、まずは話しかけてみろよ」
ジョニーは、話を続ける。
「基本、オンナは自分から話しかけて来ない。
あと、お前の現実世界で
同じような仕事をしているってことは
縁があるってことだ。
まぁ、まずは声をかけてみるところからだな」
そこからジョニーは、女性の心理について
僕にことこまかにレクチャーしてくれた。
「オンナは基本、頼りがいのある男が好きなもんだ」
「マメさは、大事だぜ」
「誠実さをアピールするためには・・・」
さすが、人生経験豊富なジョニーは、
具体的なアドバイスを僕に授けてくれた。
「ありがとう。
ま、オレに惚れないオンナなんていないよな。
がんばってみるよ」
と、女性と付き合ったことが一度もない僕は
そう言いながら、
ジョニーとまた明日、ネット上で会う約束をして別れた。
次の日。
僕は、ジョニーのアドバイス通り
彼女に声をかけてみることにした。
さりげなく声をかけたつもりだったけれど、
たぶん、ものすごく緊張していたのが
伝わってしまったかもしれない。
それでも彼女は、笑顔で話を返してくれた。
ほんのひと言だったけれど、
それだけでも、僕にとっては大前進だった。
そして、その日からジョニーによる
「恋愛講座」が、本格的に始まった。
どうやって、話を長引かせればいいのか?
相手にうざったく思われない程度に
優しさをアピールするには、どうすればいいのか?
男らしさとぶっきらぼうの違いは?
ジョニーは、こと細かに僕に教えてくれた。
「ああ、ジョニーと友達になれて
本当に良かった」
僕は心から、ジョニーと「フル・ライフ」に感謝をした。
僕は現実世界を、しだいに変えていった。
コンビニでのバイトも、前よりも一生懸命やるようになった。
彼女にも、しだいに自然と話しかけることも
できるようになっていき、
何回目かの食事を重ねて、
とうとうお付き合いのOKももらえた。
さらに、現実での自信が、
僕の「フル・ライフ」上での立場も好転させていった。
「フル・ライフ」上で発信する僕の言葉のファンが
しだいに増えていったのだ。
「言葉に、軸がある」
「すごい人のようだ」
「さすが、多くのファンがいるだけのことはある」
と、僕のまわりに、たくさんの「本当のファン」が
集まり始めたのだ。
僕は、現実世界でも、ネットの世界でも
充実した毎日を手に入れ始めていた。
現実世界では彼女との楽しい日々。
バーチャルな世界では、
たくさんのファンとのバーチャルパーティ。
そして親友ジョニーとの友情。
もう、言う事はなかった。
そんな中、「フル・ライフ」上で
女の子にもモテるようになっていった。
「もしよかったら、私と付き合ってください」
そんな風に言ってくる女の子も、何人か出てきた。
その中でも、特に気になる存在の子が現れてしまった。
彼女は「サクラ」と名乗り、
現実世界では、有名企業の社長の娘だそうだ。
なかなか聡明な子で、美人で、話も合う。
もちろん、現実世界の彼女は大切だし、
できれば結婚したいとも思っている。
最近はデート中、将来に向けた話も、
ちょくちょく出て来るようにもなっている。
でも、今まで女の子に縁のなかった僕としては
たとえ仮想空間の自分であっても、
「好き」
と言ってくれる子が現れると、
そちらも気になってしまう。
しかも、相手が社長令嬢ともなると、
「すごい人と仲良くなりたい」と思っている僕には
相当魅力的だった。
僕はジョニーに相談をした。
「あのさ。現実世界での彼女も大切なんだけれど、
もう一人、ネット上の子で、気になる子がいるんだよね。
サクラっていうんだけれど。。。」
するとジョニーは、
「よくまぁ、そこまで成長したな」
とびっくりしながら、
「でもまぁ、調子に乗り過ぎない方が身のためだぜ。
今の現実世界の彼女を、大切にするんだ」
と忠告をした。
そうか。
ジョニーだったら、てっきり
「両方とも、うまくやれ」
と言うと思っていたのに。
でも、ずっとモテ続けてきたジョニーには
今の僕の気持ちが分からないんだろうな。
もしかしたら、ジョニーは僕の人気に
嫉妬しているのかもしれないし。
僕はそう思い、ジョニーの忠告を無視して
ネット上で気に行ったサクラちゃんとも、
バーチャル空間でデートを重ねることにした。
現実世界では、彼女と結婚の話を進め、
バーチャル空間では、サクラとデートをする。
現実とネットの両方の充実。
現代の成功した人生そのものじゃないか!
僕は、今、自分が人生を謳歌していることを感じていた。
「イヤ!」
ある日、僕はネットでのデートの最中、
サクラに突然キスをしようとした。
ネット上といっても、
この「フル・ライフ」は、現実世界と変わらない。
女の子は、僕の突然の行動に驚き、
少し悲しそうな顔をすると、
ネット上から姿を消してしまった。
僕は、
「ちょっと焦り過ぎたか。。。」
と思ったけれど、それほど動揺はしなかった。
明日、あらためて謝ればいいし、
もし嫌われたとしても、
僕には現実世界で待ってくれている
かわいい彼女がいる。
何も心配はない。
しかし。
現実世界に戻った僕は、突然彼女から
別れ話を切り出された。
「なぜ?」
と僕が聞いても、彼女は何も答えない。
ひと言
「さようなら」
と告げて、彼女は去って行ってしまった。
そして、バーチャルで付き合っていたサクラも
あれから消息がつかめなくなってしまった。
僕とのキスが、そんなにイヤだったのだろうか?
僕は、ジョニーに相談するため、
ジョニーといつも会っていた場所までやってきた。
しかし、ジョニーもそこにはいない。
僕がジョニーの忠告を無視して、
勝手にふるまったのがいけなかったのか?
現実の彼女とも、
バーチャルのサクラとも、
そしてジョニーとも、
再会することは、二度となかった。
そして、自信を失った僕の周りから、
ひとり、また一人と、人々は去って行ってしまった。
もう、現実世界でも、ネットの世界にも
僕が安らげるところはなくなってしまった。
「そんな。。。。ウソだろ。。。?」
「・・・これで、削除完了っと」
一人の女性が、ネットカフェで作業を終わらせた。
「あとは、あの人と出会わないタイミングで
コンビニのバイトも、やめる手続きをしなくちゃ」
コンビニのバイトで知り合った男性と付き合っていた彼女は
もう二度と使う事のないアカウントを、削除した。
ひとつは、付き合っていた男性に
ネット上で別人になりすまして近づいた
「社長令嬢、サクラ」というアカウント。
そしてもう一つは、
「バーチャル性転換」を使い、
「ジョニー」という別人格を楽しんでいたアカウント。
「誠実そうな人だと思ったのに。。。嘘つきね」
女性は、ひとり言をつぶやいてから、
ネットカフェを後にした。