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『若がえり』

「もう、大して時間がない」
 
 
老人である男は、研究の完成を急いでいた。
次、発作が始まったら、おそらく私は
生きてはいられないだろう。
 
 
 
 
・・・男は、ある薬の研究に、半生を費やしてきた。
 
 
その薬品とは、
 
「若がえりの薬」。
 
 
 
人間の細胞ひとつひとつを活性化させ、
20代の若々しさを再び取り戻すための薬。
 
 
人類の夢のひとつである「若がえり」の実現に、
老人は挑み続けてきたのである。
 
 
 
昔は、「若がえりの薬」を完成させる動機は、
自分の名誉欲であったり、金銭欲であったかもしれない。
 
そして、自分自身がいつまでも若くいられるためという
我欲が先行していた。
 
 
 
 
しかし、年老いた今は、そうではなくなっていた。
 
 
 
彼には、妻がいる。
 
 
 
二人の間には子供はいなかったが、
妻は研究に明け暮れる彼を
いつも影からサポートをしてくれた。
 
 
そんな、心から愛する妻が老いてゆき、
今では遠く離れた病院のベッドで昏睡状態になっている。
 
 
 
 
 
 
意識のある妻が男に言った、最後の言葉は、こんなものだった。
 
 
 
「あなたの研究が実を結んだら二人で若返って、
 あなたがプロポーズしてくれた、
 あの時計台に、また二人で行きましょう」
 
 
 
病院の枕元には、二人で撮った唯一の写真とも言える
二人が年老いてから撮った、自宅での写真が立てかけてあった。
 
 
 
 
 
男は、妻と固く約束をした。
 
 
行こう、また二人で時計台に。
 
 
 
 
その約束のあと、妻の意識は
今まで一度も戻っていない。
 
 
 
 
 
 
 
男は、妻が昏睡状態になってから、
それまで以上に熱心に「若がえりの薬」の完成に
情熱を注ぎ込んでいった。
 
 
 
研究ばかりしていた私を、
文句も言わず、ずっと支え続けてくれた妻。
 
 
その妻のお願いを、ひとつくらいかなえてあげなければ、
なんのために私と結婚をしたのか、わからないじゃないか。
 
 
 
 
男は、あらゆる角度から研究を続けていった。
 
 
しかし、なかなかその努力が実を結ぶことはなかった。
 
 
 
  
妻が昏睡状態になってから、1年が過ぎ、5年が過ぎ、
そして10年、さらに20年以上の年月が過ぎていった。
 
 
 
男は数年前から、ひどく咳が出るようにもなり、
男の命も、残りわずかだということを知らせていた。
 
 
 
 
研究は続いていた。
 
様々な実験を、繰り返し繰り返し、
来る日も来る日も続けた。
 
 
 
 
そして。
 
 
 
とうとう若がえることが出来る薬は、
出来た。
 
 
しかし、20代の肉体を手に入れるかわりに、
ほとんどの記憶がなくなってしまうという
副作用を除去することができなかった。
 
 
言葉を話したり、日常生活を送れる程度の記憶はあるのだが、
今までの人間関係や、生きてきた過程、
つまり「思い出」をすべて失ってしまうという副作用だった。
 
 
 
 
「これでは、ダメだ」
 
 
 
若がえるだけでは、妻との約束を果たすことにならない。
 
 
二人の大切な思い出とともに、
あの時計台に行かなければ、意味がないではないか。
 
 
 
男は、どうにかしてこの副作用を除去できるようにと、
最後の命をふりしぼって、研究に没頭した。
 
 
 
 
 
 
 
そんなある日。
 
 
 
病院から男に、一本の電話が鳴った。
 
 
「ご主人。奥さまが危篤状態です!
 今までも昏睡状態でしたが、大変危険な状態で、
 このままですと、数日のうちに・・・」
 
 
 
老人である男は、受話器を置くと、
すぐさま病院にかけつける準備をはじめた。
 
 
 
しかし、あまりのショックな出来事に、
今度は、男が恐れていた「最後の発作」が始まってしまった。
 
 
 
 
発作はおさまる様子はなく、
男の体力をみるみる奪って行った。
 
 
老人である男自身、
 
「これが最後の発作だ」
 
という、確信めいた直感があった。
 
 
 
 
もう、自分の力で病院に行くことすらできない。
 
もう、妻の顔を見ることも出来ない。
 
 
 
 
男は、無念さで歯を食いしばりながら、
引きずるように研究室の机にむかった。
 
 
しだいに力が出なくなっている手で、必死にペンを握り、
妻を診てくれている病院の主治医宛てに手紙を書いた。
 
 
 
その手紙と、副作用を除去できていない「若がえりの薬」を
段ボール箱に詰め、研究室のドアの外へと置いた。
 
 
 
いつも、様々な実験用具を受け取ったり、
大規模な研究施設にサンプルを送っていたりしたので、
ドアの外に置いておけば、宅配業者が気づき、
妻の待つ病院に明日には届けてくれるだろう。
 
 
 
 
 
ああ。
 
 
妻との約束は、完全な形では守れなかった。
 
 
しかし、これでいいのかもしれない。
 
 
妻は、記憶を失いはするが、若がえるだろう。
 
昏睡状態からも、覚めるかもしれない。
 
 
 
金銭的には困らないだけの蓄えが
彼女名義の通帳にある。
 
 
 
彼女が、新しい人生をやり直してくれれば、
それはそれで本望だ。
 
 
 
どこかでまた、素敵な男性と恋に落ち、
私に浪費してしまった人生を、やり直してくれればいい。
 
 
 
 
男は、そこまでやり遂げると、
自分の研究室へ戻って行った。
 
 
 
思えば、この部屋の景色しか見ていない人生だった。
 
 
でも、後悔はない。
 
 
少なくとも、自分がやりたいことをやり続けた。
 

そして、出来る限りのことは、やった。
 
 
 
それで、いいではないか。
 
 
 
 
 
男がふと眼をやると、
 
未完成である「若がえりの薬」の、最後の1つが目に入った。
 
 
 
考えてみれば、人間に使用するのは、
妻が最初になってしまう。
 
 
 
副作用は「思い出」がなくなる事だけだとは思うが
実験結果に「絶対」「完璧」は、ない。
 
 
 
 
もし、思いもよらぬ副作用があり、
妻だけに辛い思いをさせるわけにはいかない。
 
 
 
また、もし誰かがこの研究室を発見し、
私の研究を継いでくれることがあるのだとしたら、
私の「人体実験」が、なにかのプラスになるかもしれない。
 
 
 
 
何より、あと少しでこの世から旅立つのだとしたら、
自分の生涯をかけた「作品」を、自分で試すのは、
いい幕引きではないか。
 
 
 
 
老人である男は、せき込みながら、
自分の腕から「若がえりの薬」を注入し始めた。。。
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
。。。。。。
 
 
 
あたりが、焦げ臭い。
 
 
「なんだ?火事か?」
 
 
 
 
青年は、いままでうつぶせになっていた上体を
がばっと起こした。
 
 
「いけね!いつの間にか眠っちまってたか!?」
 
 
 
あたりを見ると、よくわからない機材や薬品が転がっている。
 
 
「なんで俺は、こんなところに。。。?」
 
 
火の手が、思った以上に早い。
 
 
まずはここから脱出することが先決だ。
 
 
 
 
青年は、自分がいつ着たのかもわからない
ボロボロの白衣のまま、その部屋から飛び出し、
一目散に外に向かった。
 
  
 
なぜかは分からないものの、
 
どちらに走れば外に出られるのかが、
なんとなく分かっているのが不思議だった。
 
 
  
 
 
間一髪で外に出た青年は、そのまましばらく走ったあと、
振り向いて、全焼する家を呆然と眺めた。
 
 
 
 
「危なかった。。。
 なんで俺は、あんな場所にいたんだろう?」
 
 
そんなひとり言をつぶやいた後、
青年は、あらためて考えた。
 
 
「そもそも、俺は、誰だろう?」
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
それから青年は、あてもなくさまよった。
 
 
どこに行けば、いいのか?
 
 
誰と会えば、自分の正体が分かるのか?
 
 
そもそも、誰の顔も、思い出すことができない。
 
 
自分は、自分は、何者なんだ?
 
 
 
 
 
 
何日もさまよったあげく、
 
青年は地面に座り込んだ。
 
 
 
これから、どうすればいいんだ?
 
 
 
 
 
と、そこに。
 
 
 
 
自分と同じくらいの、まだ若い女性がやってきた。
 
 
女性は、なにか困ったような、戸惑っているような、
それでいて、何かを求めているような顔をしながら、
声をかけてきた。
 
 
 
「あの。。。こんにちは」
 
 
 
青年は挨拶を返すと、彼女に聞いた。
 
 
「どうしたんだい?」
 
 
すると女性は、彼に向かって、たどたどしく話し始めた。
 
 
「あの。。。嘘だと思われるかもしれないんですけれど、
 わたし、今までの記憶がないんです。
 
 気がついた時には、フラフラ歩いていて、
 どこから来たのかも、自分が何者なのかも、
 全然わからないんです」
 
 
 
青年は驚いた様子で、
 
「自分もそうなのだ」
 
と言おうとしたところ、彼女は言葉を続けた。
 
 
 
 
「こんなこと、見ず知らずの男性に言うなんて、
 変だと思われるかもしれません。
 
 でも、なぜかあなたは信用できそうな、
 そんな気がして。。。。」
 
 
 
彼女は、そう言いながら、ポケットから
1枚の写真を取り出した。
 
 
「私の持ち物の中で、唯一手がかりになりそうなのは、
 この写真なんですけれど。。。」
 
 
写真は、どこで撮られたのかは分からないが、
年老いた男女が写っている。
 
おそらく、夫婦なのだろう。
 
 
 
 
青年は、女性から写真を受け取り
写真を見て大きな声をあげた。
 
 
「なんだって!
 この写真。。。。ほら」
 
 
 
 
青年は、ボロボロの白衣のポケットから、
1枚の写真を取り出した。
 
 
  
青年が取り出した写真。
それは、女性が持っていた写真と、まったく同じものだった。
 
 
 
「なんで。。。?」
 
 
「それは、俺にも分からない。
 実は、俺も記憶がないんだ」
 
 
 
女性の驚く顔をみながら、青年は続ける。
 
 
 
「でも、どうやら、俺たちは、
 記憶をなくす前に、何か関係があったみたいだな。
 
 たぶん、すべてを知っているのは、
 写真に写っている、この老人の男女だ」
 
 
 
青年は、女性の手を取り、こう言った。
 
 
「一緒に行こう。二人でつきとめよう。
 君と俺が、何者なのか」
 
 
 
 
 
手をつないだ二人が、たまたま訪れたこの場所。
 
 
時計台の鐘の音が、
二人の未来を応援するかのように響き渡った。
 

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