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夢を学ぶ。

なんか知らないけれど、
最近友人たちから、たて続けに
 
 
「こんな夢を語る人に会った」
 
 
という話を聞いたのね。
 
 
その友人たちというのは、
自分のやりたいことを見つけ、実現し、
今もそれぞれのステージで奮闘している人たちだ。 
 
 
そんな人たちが、まったく別の場所と別の時に
 
「こんなの聞いたよー」
 
と、教えてくれたわけ。
 
 
 
それぞれの人が、誰かから夢の話を聞いた
シチュエーションは、まったく別だし、
 
その話を教えてくれた人たちも、
それぞれが知り合いというわけでもない。
 
 
でも、
 
「こんな夢の話を聞いた」
 
という夢の内容が、相当似通っていたのね。
 
 
 
 
その夢の内容というのが、
 
 
「パソコン一台でいつでも稼ぎ、
 南の島でのんびりとすごしたい」
 
 
というもの。
 
 
まぁ、表現に多少の違いはあったんだけれど、
ほとんど同じだった。
 
 
 
人はみんな違うはずなのに、
なぜか同じような夢を語る人が、たくさんいる。
 
なんでやねん?
 
 
と思ったんだけれど、その後で、
 
「ああ、夢って、学んでゆくものなんだ」
 
なんて考えた。
 
 
 
 
 
いやね。
 
 
その人が様々な人生経験を踏まえたうえで、
無限にある可能性の中から
 
 
「私の生きる道はこれだ!」
 
「これこそが私の夢なんだ!」
 
 
と思えるものが、
 
 
「パソコン一台で稼いで南の島」
 
 
というのであれば、もう何の文句もない。
 
そういう人も、きっといるだろう。
 
 
 
でも、
 
多くの人は、リアルに
南の島での生活を1か月も続けたら、、、
 
 
 
飽きる!!!! 猛烈に飽きる!!!!!
 
 
 
私だったら、2週間もたない。
 
 
 
 
でも、なぜか多くの人が
 
 
「パソコン一台で稼いで南の島」
 
 
が夢です!と語るのか?
 
 
 
それは、分かりやすいイメージとして
誰かから提供されているからだろう。
 
 
もっと強烈に言えば、
いつのまにか脳にインストールされちゃったんだろう。
 
 
 
でも。
 
 
 
たぶん。たぶんだけど、
この夢の本当の意味は
 
 
「今がイヤ」
 
 
だけなんだと思う。
 
 
 
やりたくないことを毎日やり、
 
お金について悩み、
 
いやな人間関係に束縛されて、
 
欲しい賞賛もえられない。
 
 
 
そんな毎日から解放される!
という代表的イメージが
 
 
「パソコン一台で稼いで南の島」
 
 
なんじゃないかな?
と思う。
 
 
 
 
 
 
そして、
 
 
もし「夢」というのが
「国語」や「数学」のような科目だったとしたら、
 
 
「パソコン一台で稼いで南の島」
 
 
という夢の描き方は、
 
 
「ひらがなあいうえお」
 
とか、
 
「すうじ」
 
 
という、初期段階の場合が多いんじゃないかな?
なんて思う。
 
 
 
はじめは、
 
「夢とはこういうものです」
 
という誰かから提示されたものを見て
 
 
「いいね!」
 
「これこそ私の求めるものだ!」
 
 
と思うのは、それはそれで素敵だと思う。
 
 
 
でも、それは結局、人から提示された一例でしかないので、
だいたいの人にはフィットしない。
 
 
 
まぁ、少ないサンプル数かもしれないけれど、
 
私の知っている中で、
 
経済的に余裕があり
それこそパソコン一台で稼げるようになった人の中で、
南の島に永住を決めた人は、一人もいない。
 
 
みんなそれぞれ、自分だけにしか実現できない、
オリジナルな夢に向かってがんばっている。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
 
夢ってのは、イメージだ。
 
そして、イメージ力ってのは、鍛えることが出来るし、
鍛えると、現実化するパワーも増す。
 
 
はじめは、
 
 
「パソコン一台で稼いで南の島」
 
 
でもいいと思う。
 
 
でも、それを鮮明に、克明に、ハッキリとイメージして
それがずーっと続くと考えた時に、
果たして本当にそれが「夢」なのかは、考えてみてもいいと思う。
 
 
 
人の夢にツッコミを入れたり、批判するつもりはない。
 
 
だた、
 
 
「それって、本当の本当の本当??」
 
 
と考えた時に、また別のイメージが湧いてくるかもしれない。
 
 
 
そして、
 
 
「あれ?違うな」
 
 
「ここはちょっと違うかも」
 
 
となった時に、「夢の学び」は
ひとつ深みを増すように思う。
 
 
 
 
 
夢はどんどん変わるものだろうし、
それで良いと思う。
 
 
また、夢を追っている時の方が
夢を実現した後よりも輝いていたりもするんだろう。
 
 
 
ただ、個人的には
 
夢はかなえた方が良いと思うし、
どうせだったら、人から提供された夢の一例を
うすぼんやりと
 
 
「あー、いーなー」
 
 
と思っているよりは、本人の心から湧いてくる
誰かから提供されたものではない夢の方が実現もしやすいし、
充実感もあるように思う。
 
 
 
 
夢は学ぶものだ。
 
 
そして、夢はより深く学んだ者に
現実化させるパワーを与えてくれる。
 
 
 
あなたの夢が、素敵にかないますように。
 
 
ではでは。

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