先日、電車に乗っている時に
隣で話をしている人から、
衝撃的な言葉が耳に飛び込んできた。
それは、
「あー、ボク、リーダーシップを
身につけたいんですよねー
まだリーダーシップが足りなくて、
他の人を全然コントロールできないんですよー」
という言葉。
それを聞いて、私は自分の耳を疑った。
え?
アナタの頭の中では、
「リーダーシップ = コントロール」
になっているの?
だったら、お願いだから、
そのままリーダーシップを身につけないで欲しい。
みんなに迷惑だから。
と、がく然としたんだよね。
もう、知り合いだったら
「おい、ちょっと待て。
いいから、ここに座りなさい」
と、小一時間コーチングして号泣させたいレベル。
そんなセリフを言っているのが若者だったら
「フッ、認めたくないものだな
自分自身の若さ故の過ちというものを」
と、ガンダムのシャアばりに一蹴するところだが、
それを言っていたのは、私よりも年配そうに見えるお方。
「坊やだからさ」
では、すまない勘違いだと思う。
さてさて。
もちろん、色んなリーダーシップの形があっていいと思う。
ただ、リーダーシップってものを、
「他の人を都合のいいように
コントロールする力」
だと思って身につけようとするのは、
個人的には、やめた方がいいと思う。
コントロールされる方も大変な迷惑だし、
おそらくそんな「リーダーシップ」を発揮した本人も
最終的には不幸になる。
個人的には、リーダーシップは、
思いの強さがにじみ出てしまう結果、相手に伝わるものだと思う。
自分の世界観の中で、
「世界はこうなると、もっと素晴らしい」
「こうあると、美しい」
という強い思いがあふれて、そこに触れた人が
その世界観に酔い、その人に酔い、
「この人の世界観になら、酔える」
と自主的にその「思いの渦」に身を投じるようになるのが
リーダーシップの源のように思うけれど、違うかね?
そんな強い思いを何かに持っていると、
思いを持っているものではないシチュエーションにおいても
言動にパワーが宿り、結果として
「あの人が言うと、ついつい引き込まれちゃう」
「安心して着いていきたくなるわ」
という状態になるんじゃないかな?
なんて思うんだよね。
だから、
リーダーシップを身につけようと思って
リーダーシップのテクニックを本とかから学んでも
全然役に立たない。
自分の「思い」がどこにあって、どれくらいの深さなのか?
というものがなければ、本当のリーダーシップには
到達できないように考えているんだけど、
偏り過ぎかな?
極論すると、
「思いに殉じる覚悟」
が深ければ深いほど、リーダーシップは強くなると思う。
それが、はじめは独りよがりのものかもしれない。
でも、長年「この思いに殉じよう」としているのであれば、
その思いは必ず他者への配慮へと昇華していくと思う。
「私には私の殉じる思いがある。
きっと他の人にも、思いがあるだろう」
「だから、誰かの思いを尊重できなければ、
私の思いを尊重してくれるわけがない」
というシフトが、
「思いに殉じる」
覚悟のある人であれば必ず起こるように思う。
(少なくとも、私が出会っているリーダーシップのある人たちは
必ずそういうステージに立っている)
その「思い」というのは、
「いつか、コレをきっと叶えたい!」
という分かりやすい目標の場合もあるし、
言葉では説明できないものもある。
ただ、「思い」としては非常に強く、
それが言葉にも、態度にも、それ以外にも
無意識のうちにあふれ出てしまうような状態が
結果として、リーダーシップになっている。
そんな気がするんだよね。
リーダーシップは、心のこもっていない言葉や
その場かぎりのふるまいで
相手に魔法をかけるようなことではない。
100の言葉を積み重ねるよりも、
その人の存在がそこにあるだけで、
その人に初めて会う人も、圧倒されつつ安心する。
そんな力であるよなぁ、なんて思ったりする。
別に、重苦しいものである必要もない。
一見、チャラい雰囲気であっても、その人が「思い」を
持っていたら、人はなんとなく感じるものだものね。
。。。と、そんな風にエラそうに講釈たれている私が
どれだけのリーダーシップを持てているのかは分からない。
ただ、
「リーダーシップって、人をコントロールする力でしょ?」
なんて勘違いはしないように、
「自分の思いに殉じる覚悟」
を磨いて行ければいいな、なんて思います。
ではでは。