世の中にはいろんなプロがいて、
そんなプロの方の技や姿勢に触れるたび、
「すごいぜ!」
と舌を巻きすぎて
カメレオンみたいになっちゃうんだけど、
その中で、たまに
「二流、一流、超一流」
みたいなランク付けを聞くことがあるじゃない?
個人的には、
「みんなすごいところがある、でよくね?」
とも思う反面、たしかに
「あれ?」
というお仕事ぶりもあるし、
「感動!」
というお仕事ぶりもあるし、
もう言葉も出ない、、、
というお仕事ぶりもあるのは事実だ。
そんな「二流、一流、超一流」を
分けるのは、一体何なのか?
それについて、
ケースバイケースではなく、
スポッと当てはまる定義が自分の中で
できたので、それをシェアしたいと思う。
さてさて。
たぶん、非常にシンプルで、
【 二流は相手を自分に合わせようとする 】
【 一流は相手に合わせることができる 】
【 超一流は自分を生きて引力を持つ 】
なんじゃないかな?
少し説明すると、
いわゆる「二流」と呼ばれてしまうのは、
「私のやり方に従いなさい」
「私が正しい。あなたは間違っている」
という状態だと思う。
例えば、サービスの良くない接客とかも、
相手のことを考えていないで、
自分のやりたいようにやっている状態だし、
品質の良くないものを提供しているのも、
提供者が自分の都合を優先(手間やコストをかけたくない)
しているから出てくる現象だ。
文章でも、歌でも、絵でも
自分本位で相手をかえりみないものは
二流の烙印を押されることも多い。
対して、
いわゆる(←これ大事)「一流」は、
「ニーズに合わせる。依頼に合わせる」
「あなたの正しいを優先させる」
という心の状態と実践だ。
お客さまの要望に合わせて接客を変える。
かゆいところを察知して、心配りする。
自分の「正しい」も、もちろん持っているけれど、
相手が違うものを欲したのならば
笑顔でそれに答える。
そんな自分のあり方に
プロフェッショナリズムと誇りを持つ。
それが「一流」の状態のように思う。
そして、いわゆる「超一流」は、
「相手を見ていない。相手が自分を見ている」
「自分のこだわりに、相手が引力を感じる」
という世界。
自分のことを曲げない。
でも、その世界観と美しさに相手が感動を覚え、
惜しみない拍手喝さいを贈る。
誰にも気付かれなかったとしても
日々みがき続け、それがある時
世間に認められる。
押しつけないけれど、
自分の世界観を崩すこともない。
それが認められる、選ばれた状態。
そんなように思う。
「自分勝手」という意味においては
二流と超一流は同じ。
ただ、そこに現出した世界観を
相手が認めたのであれば、それは超一流となる。
「バ カと天才は紙一重」と言われるゆえんも
ここにあるような気がする。
接客業の人が笑ってないと
「サービス精神が足りない」
となり、ブルース・リー氏が笑わないと
「さすが!超カッコいい!!」
となる。
それは認識の違いだけだ。
そして。
これは、人に固定しているものではなく、
あくまで関係性と状態によるとも思う。
ゴッホは生前は二流で、
世から旅立ったあと、超一流になった。
ライティングという仕事だとしたら、
何かを依頼されてライティングした時に
「いや、絶対こっちの表現の方がいいよ!」
と、相手の修正に文句を言って認めなかったら二流。
相手がどんな風に修正しても
それが相手のニーズだったのだと、
笑顔で次に活かすのが一流の心のあり方。
そして、ズババーーーっと書いて、
それを相手が
「マジで、修正するところないっす!」
となったら、ライターとしては超一流の仕事ができた、
と言えるかもしれない。がんばります。
さらに、
この「二流、一流、超一流」は
仕事だけじゃないんだろうね。
自分の都合だけを押し付けてくる人は、
ウザい二流の人。
逆に、あなたのことを考えて合わせてくれる人は
一流の人。
でも、世界にたった一人しかいない恋人とかだったら
一流どまりだったら魅力を感じない。
その人自身を生き、
その人をつらぬき、
その人から発する引力に魅せられる。
そんな人が、あなたにとって超一流の人で、
そういう人じゃないとあかんのやろうな知らんけど。
ってなワケで。
二流、一流、超一流。
それは関係性によるもので、浮動する。
二流の時の自分もあるし、
一流の時の自分もある。
そして、誰かにとって超一流の自分も
いたらいいな。
さてさて。
あなたにとって、
あなたの周りにいる人は、
どんな時、超一流になり、あなたを魅了しますか?
あ!ちなみに、
「二流、一流、超一流」と、
人様をランク付けする人は、三流以下だと思いますわ。
なので、そんなワタシに騙されちゃダメよ(笑)
ではでは。