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巨木となる人

木にたとえると、
高くそびえたつ大木のような人っているよね。
 
なにがあっても揺るがないで、
スケールも大きい、
「立派」という言葉がぴったりと合う人。
 
 
対して、
普通に生きている私みたいな人物は、
「大木の人」と比べると、いささか頼りない。
 
ささいな事で揺れまくるし、
すぐにしおれてしまう。
 
 
 
色んな人がいて、それでいいとも思っているので
別に卑下しているわけじゃないんだけれど、
「大木の人」との違いは、何なんだろうね?
 
 
 
そこでまた正月に見ていたテレビ番組からの
インスピレーション。
 
 
 
 
 
火山の噴火により、溶岩で壊滅的な
ダメージを受けた大地は、その後、
豊かな緑におおわれる豊饒な土地に生まれ変わる。
 
 
しかし、そのはじめは、緑の中でも
ごく小さなコケのようなものだけが
大地に生えてくるそうだ。
 
 
そしてコケが枯れ、その枯れたコケが
微量の土になる。
 
その後、コケと、コケよりは大きなものの
まだまだ小さい雑草が、枯れたコケから出来た
土の中から芽を出してくる。
 
 
さらにその小さな雑草も枯れ、
その枯れた小さな雑草が、また微量の土を生む。
 
 
コケから、小さな雑草。
 
小さな雑草から、大きめの雑草。
 
大きめの雑草から、小さな木。
 
そして、小さな木から、大きな木へと。
 
 
 
誕生と終わりを繰り返し、
その「なきがら」が豊かな土を生み出し、
 
衰退と再生のサイクルの中で、
より大きな木の誕生を祝福する。
 
 
大木が生まれるまでには、
大木を支える土を生み出すサイクルが必要で、
 
多くの誕生と終わりがあるからこそ、
大木が大木として存在することが出来る。
 
 
とても壮大な話だよね。
 
 
 
 
そして。
 
 
 
 
人間一人ひとりに置き換えた時にも、
同じようなことが必要なんじゃないかな?
 
なんて思うんだよね。
 
 
 
私たちは、朝起きて、夜眠る。
 
そんな小さな誕生と終わりを繰り返している。
 
 
 
私たちは、新しいことにチャレンジして
成果を出したり、失敗したりする。
 
それも、一生からすれば小さな誕生と終わりだ。
 
 
 
「あの挑戦って、無駄だったのかな?」
 
「あんなこと、やらなければよかった」
 
 
なんて、いろいろ思ったりもするけれど、
 
ひとつひとつの経験が、
小さな誕生と終わりの繰り返しで、
 
より大きな木を支えるための
「土を作る」という意味においては、
一つ一つの経験が、なくてはならないもの。
 
そんな風にも思えるんだよね
 
 
 
大木だけが偉いわけじゃないし、
 
全ての人が「大木」を目指さなくてもいい。
 
 
 
でも、
 
もし大きな人間を目指しているのに
なかなかうまくいかないってことがあったとしても、
それは、 

 
「これから生まれてくる
 大木を支えるために必要なプロセス」
 
 
 
「この経験が、巨木を支える土となり、
 巨木を支え、栄養を与える」
 
 
 
なんて考えるのも、いいかもしれないよね。
 
 
 
お互いに、自分自身が納得できる
「木」を育てていきたいものだよね。
 
ではでは。
 

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