「あの人はスゴイ!」
なんて言葉を聞くことって、あるよね。
たとえば、
・お金儲けがうまい
・アスリート並みの肉体
・人脈が広い
・夢を実現させている
なんていう人たちが、よく
「スゴイ人」
みたいに扱われる。
もちろん、それぞれの分野で
優れた結果や実績を出しているのであれば、
それはとても素晴らしいことだ。
その人にしかできないことを、
その人独自のやり方で成し得たのならば
それは惜しみない賞賛を送りたいと思う。
ただ、
それとはまた別の角度からの話で、
「果たして、素晴らしい実績を出した人だけが
“スゴイ”のか?」
「みんなが“スゴイ”と認めている人は、
本当にどんな側面から見てもスゴイのか?」
なんてことを、ひねくれ者の私は考えちゃうんだよね。
これは、
「素晴らしい実績を出している人の中にも
人格的に、良い人もいれば悪い人もいる」
といった話ではなく、さらにもっと
ひねくれたものの見方の話だ。
素晴らしい実績を出している人は、
それだけで輝きを放っている。
その人の人格が、どんなに「良い人」であっても。
というか、良い人であればあるほど、
その人の輝きは増す。
すると、
どうしても、その人を見る時に、ある種の
「劣等感」
を抱いてしまう人は、出てくるだろう。
「あの人は、素晴らしい実績も出していて、
人にも優しいし、間違ったことをしない」
「いつもニコニコしている中で、
やるべきことはきちんとしている」
そんな人間を目の当たりにすると、
「それに比べて、私は何をやっているんだろう?」
とか、
「私って、ダメだなぁ」
なんて思っちゃう人もいるだろうし、
心が弱っている時には、ついつい比べてしまう時も
あると思うんだよね。
すると、
ここにちょっとひねくれた疑問が生じる。
「その人を見るだけで劣等感を感じさせてしまう人」
と、
「人に優越感を感じさせる人」
という側面から考えた時には、いわゆる
「スゴイ人」
は、前者になる。
これって、どうなんだろう?
ってね。
もしかしたら、「人として」素晴らしいのは、
何にも成し得ていなくて、
周りの人に、なんとなく
「私もまだまだ捨てたもんじゃない」
と優越感を抱かせてしまう人の方が、
「人として」は、素晴らしいんじゃないか?
なんて考えてもみちゃうんだよね。
こんな考えって、ひねくれすぎ?(笑)
まぁ、自分のできることを一生懸命やって、
自分と人を比べず、
たくさんの人に
「私ってすごい!」
と、自信を与えるような人になるのが一番なんだろうね。
ただ、
「私って、何にも成し得ていないなぁ」
「何の実績も、自慢できることもないなぁ」
なんて、しょげてしまうのは、もったいない気もする。
何も成し得ていなくても。
みんなに分かりやすい何かがなかったとしても。
それでもニコニコしていれば、
それだけで誰かに勇気を与えているかもしれない。
輝かしい実績を出している人も素晴らしいけれど、
そうじゃない人も、たくさんのものを
周りに提供している。
そんな風に思うんだよね。
なんて、
こんなひねくれたモノの見方をするのは、
いつも自分と誰かと比べて一喜一憂している
超小物の私がいるからなんだけれどね(笑)
ではでは。