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伴奏者、伴走者であるという意味。

先日、ある飲み会に行ってきた。
 
お気づきかと思うが、私は、
だいたい飲んでばっかりだ(笑)
 
 
 
先日の飲み会は、異業種交流会というか、
 
 
「居酒屋での異種格闘技戦」
 
「おしゃべりバトルロイヤルin居酒屋」
 
 
みたいな感じで、実に様々な人が集まった。
 
 
 
歌手の方、詩人の方、お坊さん、航空業界の方、
NPOを立ち上げている方、美容業界の方、
セミナー講師を育てている方、などなどなど。
 
 
主催者の方には、何回も会っているのに、
そもそも何をしているのか、良く分かっていない(笑)
 
 
飲み会の参加者の唯一の共通点は、
 
「なんか楽しそうな事が好き」
 
ってことくらいじゃないだろうか?
 
 
 
まぁ、そんな、変わった飲み会。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その飲み会では、様々な話が出てくる。
 
「幸せって何?」
 
とか、
 
「あと1週間の命だったら?」
 
と言った、比較的重厚感のある話もあるかと思えば、
 
男女の話だったり、近況報告と言った
気軽な話も出てくる。
 
 
 
 
 
その中で、飲み会の主催者の人が話していた
 
「伴奏者の話」
 
が、強く印象に残ったので、今回はそれをシェアしようと思う。
 
  
 
 
 
 
 
主催者の方と絆の深い、とある歌手の方がいるそうだ。
 
 
その歌手の方は、日本全国(いや、世界だったか?)で
歌を歌っているのだけれど、 
 
当然、歌っている時には、様々なピアニストが
伴奏をしてくれるそうなのね。
 
 
 
 
 
で、
 
 
ある時、飲み会の主催者の方が
その歌手の方に聞いてみたそうだ。
 
 
「やっぱり、伴奏してくれるピアニストによって、
 歌いやすかったり、歌いにくかったりするのですか?」
 
 
と。
 
 
 
その歌手の方の答えは、
 
 
「YES」。
 
 
 
 
プロの歌手なので、もちろんどのような伴奏でも
その時の最高のパフォーマンスはするのだけれど、
 
やはり、上手い人の伴奏だと、
その実力のすべてを出し切ることができるというのだ。
 
 
 
 
そして、
 
「上手い伴奏」
 
と、
 
「下手な伴奏」
 
の差は? 
 
 
どこにあるのかと言うと、
それはちょっと意外な答えだった。
 
 
 
 
というのは、
 
 
 
 
上手い伴奏者であればあるほど、
 
 
「その人自身の音楽性」
 
「伴奏する人自身の世界観」
 
 
を、「消す」ことができるそうだ。
 
 
 
 
間違ってない。もう一度言うね。
 
 
伴奏者自身の音楽性や世界観を「出す」のではなく、
「消す」事が出来るのが、上手い伴奏者だそうだ。
 
 
 
言われると当たり前かもしれないけれど、
あらためて言われると、ちょっと意外だったんだよね。
 
 
 
 
上手い伴奏者は、当然プロなわけだから、
自分の音楽性も世界観も、素人よりも深く追求し、
我がものとしている。
 
 
そして、自分が主役のコンサートの時などは、
その音楽性、世界観を、思いっきり開花させる。
 
 
 
 
 
でも、
 
 

 
自分が「伴奏者」としてピアノの音を紡ぐ時には、
 
完全に自分の音楽性や世界観の気配を消して
脇役に徹する。
 
 
 
それが、かけだしのアマチュアピアニストには
できないことなんだそうだ。
 
 
 
 
 
 
アマチュアであればあるほど
 
「自分のやり方」
 
「自分の音楽」
 
にこだわり、手放すことが出来ない。
 
 
そして、結果として歌い手の本来の力を
引き出すことが出来ない。
 
 
 
そんなことが起こるらしいんだよね。
 
 
 
 
 
 
で。
 
 
ここからが主催者さんの言っていた
大事な話なんだけれど、
 
 
 
伴奏者が上手い伴奏者であるために必要なこととして、
 
 
 
「自分の音楽性や世界観を
 思い切り表現できる場を持っておく」
 
 
 
ということが大切、と教えてくれた。
 
 
 
 
いい意味で、自分の自我を
完全に満たす場所があるからこそ、
 
ある時に伴奏者という脇役になっても、
自分の世界観を消して、伴奏に徹することが出来る。
 
 
 
そうでなかったら、やはり
ピアノの音から、自分のエゴが漏れ伝わってしまう。
 
 
 
 
アマチュアは、技術的なこともさることながら、
 
「自分の音楽性や世界観を表現できる場」
 
が満たされていないから、伴奏している時も
よけいにエゴが表出してしまう。
 
 
 
 
いい伴奏者になるためには、
別の場所として、思い切り自分を満たせる場が必要だよね。
 
 
という話だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
これを聞いて、
 
「ホント、なるほどなぁ」
 
と思ったんだよね。
 
 
 
そして、これはいわゆるピアノの伴奏だけに限った話じゃなく、
 
誰かのサポートをする時すべてに共通する話だ、
とも思った。
 
 
 
 
誰かに技術を伝える時。
 
 
カウンセリングやコーチングをする時。
 
 
シンプルに人の話を聞く時。
 
 
セミナーの講師をする時。
 
 
部下にアドバイスする時。
 
 
子供に、何かを教える時。
 
 
 
さまざまな場面で、同じことが起きるだろう。
 
 
 
上手い人は、相手の本来の力を引き出したり、
相手に必要なものを届けるために、
必要に応じて自分を「消す」ことができる。
 
 
 
そしてそれは、自分の世界を表現できる場を
別にたくさん持っているからだ。
 
 
 
 
下手な人、ウザがられる人は、
サポートそのもので自分のエゴを満たそうとする。
 
 
自分の世界を表現する場が足りてないので、
自分の世界を、誰かへのサポートという隠れ蓑をかぶって
エゴを押し通そうとする。
 
 
だから、ウザがられる。
 
 
 
自分を「消す」のではなく、自分を出して
 
 
「すごーい」
 
「ためになりましたー」
 
 
と言われることを目的にすると、
どんどん人は離れていってしまう。
  
 
皮肉なものだよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
なので、
 
 
そうならないためにも、
 
人は誰でも、「自分の場」というものを持った方が
いいみたいだ。
 
 
 
もちろん、ブッダレベルで悟っちゃっている場合は
そうでもないんだろうけれど、
 
 
そうでない私のような凡人は、
 
「自分の場」
 
で、思いっきり自我を満たしておいた方が良いみたいだ。
 
 
 
 
そうでなければ、いざサポートに入った時に、
 
いい伴奏者、伴走者でいられなくなっちゃうからね。
 
 
 
いつも、私の「場」にお付き合いくださって
ありがとうございます~
 
 
これからも、どうぞお付き合いくださいませ。
 
ではでは。
 

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