スポンサーリンク

『クライマー』

昔、あるところに
100mほどの崖がありました。
 
その崖には、う回路はなく、
登るとすれば自分の手足を使って
這い上がってゆくしか、ありませんでした。
 
 
ある時、一人の人が言いました。
 
「よし、登ってみよう。
 上からの景色を、私は見てみたい」
 
 
すると、まわりの人は言いました。
 
 
「そんなの、危ないからやめた方がいい」
 
「私も登ってみたことがあるけれどダメだった」
 
 
それでも、本人は
自分を信じて登りはじめたのです。
 
 
---
 
  
斜面は想像以上にきつく、
途中で何度も何度もすべりそうになりましたが、
それでも10mほど登ることができました。
 
 
すると、
 
「ほら、私が言った通りだ。
 私は初めから、あの人ならやると思っていた」
 
「けっこうカンタンに登れるものなんだよ」
 
と、それをふもとで見ていた人たちは
寝転びながら自慢げに話しました。
 
 
---
 
 
さらにきつい傾斜を、
ひとつ、またひとつと登ってゆきます。
 
本人は自分の好きで登っているので、
へこたれることはありませんでしたが
それでも苦しくなることもあります。
 
 
崖の先に、どんな景色が待っているのか?
それに確証があるわけでは、ありませんでした。
 
しかし、本人は自分が見たい景色を信じて、
息を切らしながら、丁寧に進んでいきました。
  
何の労もなく手に入れられる景色なんて、
別に見たいとも思っていなかったからです。
 
 
---
 
 
30mほど登ると、途中でひと休みできるような
隆起があったので、腰を下ろしていると
 
「わたしも、あなたの見えてる景色を見たい!
 ロープで引き上げて!」
 
と、ふもとで頼んでくる人がいました。
 
 
そうだな、せっかくなら、、、
と、崖を登っていた人はロープをたらし、
ふもとにいる人を引っ張り上げようとしました。
 
 
しかし。
 
ふもとからロープを持った人は
 
「早く引き上げてよ!」
 
と文句を言うばかりで、
ちっとも自分で登ろうとしません。
これでは、いくら引っ張っても限界があります。
 
 
そのうち、ロープはプツンと切れてしまい、
崖を登っていた人は、そこから
5mほど落ちてしまいました。
 
必死に崖にしがみつき、
なんとか一命をとりとめはしましたが
ケガをした体のまま、また登らなければなりません。
 
 
ところで、ロープで引き上げられようと
していた人は、コテンと尻もちをつきました。
 
「ああ、、痛てて、、、なんてひどいことをするんだ。
 あんなひどい人、はじめて会った」
 
と文句を言い、自分がどんなに痛い尻もちをついたのかを
まわりに吹聴しました。
 
 
その話に同情する人もいれば、
尻もちをついた人の話には耳を貸さず、
ふもとから応援をする人も現れました。
 
しかし、応援をする人の声よりも、
罵声の方が、こころなしか声は大きく
響いていたようです。
 
 
---
 
 
50mを登るまでには、
本当にいろいろなことがありました。
 
 
途中、手をかけたところの石が落ちてしまい、
誤ってふもとの人を傷つけたこともあります。
 
 
想像を絶する疲労を癒すために、
取ってはいけない、とされていた野草を取り
食べてしまったこともありました。
 
 
自分が登ってきたルートが
後から考えると、ものすごく無駄が多いものだったと
気付くこともありました。
 
 
そんな姿を見て、
 
「あの人は、上から石を落とす
 とても意地悪な人だ」
 
「あの草を食べたんだよ?
 やくそくで決まっているのに
 それを破ったんだよ?ダメな人だよ」
 
「あんな無駄なルートを選ぶなんて、
 あたまがわるいに違いない。
 ボクなら、こうやるね」
 
と、ふもとにいる人は、自分の意見を
ああでもない、こうでもないと言い合う人もいれば、
じっと心の中で応援する人もいました。
 
もちろん、大多数のふもとにいる人は
崖を登っている人なんて、どうでもよかったので、
放っておきました。
 
 
---
 
 
70mを登る頃になると、
ふもとにいる人の中には
 
「あの人が70mを登るまでの軌跡」
 
という話をみんなにして、
お金をもらうような人もいれば
 
「あの人よりも楽に崖に登るために」
 
という話をしたり、
 
「あの人が今までにやってきた、よくないこと」
 
を、まとめて話すような人もいました。
 
 
もちろん、応援する人もいました。
 
そんな応援者に対して、崖を登っている人は
心からの感謝をしました。
 
 
しかし、その姿を見て
 
「自分の味方だけ、えこひいきして!」
 
「何様のつもりなんだ!」
 
「たまたま、運がよかっただけなのに」
 
と、腹を立てる人もいました。
 
 
そして、崖を登る人が崖から落ちそうになるたびに
ヒヤヒヤする人と、ニヤニヤする人とが
安全なふもとでワイワイし続けたのです。
 
 
---
 
 
崖を登りきる時が来ました。
 
本人としては、
 
「とうとう登ることができた」
 
という達成感と
 
「落ちないで良かった」
 
という安堵感の半々でしたが、
ともかく登り切ったのです。
 
 
登りきると、
ふもとでワイワイ言っていた人のほとんどは
その事を忘れて行きました。
 
なぜなら、もう姿が見えなくなってしまったからです。
 
 
ほんの少しの人が
 
「私も、自力で登ってみよう」
 
と、崖に手をかけ、足をかけました。
 
 
もちろん、そんな姿を見て、
まわりの人は
 
「そんなの、危ないからやめた方がいい」
 
「私も登ってみたことがあるけれどダメだった」
 
と忠告をしたのは、同じです。
 
 
---
 
 
崖を登りきると、
思っても見なかった光景が広がっていました。
 
 
そこには、今まで別のルートから
崖を登ってきた人たちが何人もいたのです。
 
 
それまでは、自分のことで手一杯だったので
そんな事実に気づくはずもありませんでした。
 
 
「やあ」
 
「やあ」
 
互いに、声を掛け合いました。
 
 
特に何も話さなくても、分かり合える気がしました。
 
 
だって、ルートは違っても
同じような崖を登ってきたのですから。
 
それまでに、どんなことをしてきたのか?
どんなことを言われてきたのか?
 
そんなことは関係なく、
互いに労を労い合うことができたのです。
 
 
---
 
 
そして。
 
 
ふと見てみると、
そこには、さらに大きな崖があることに
気がつきました。
 
 
まわりにいる人の中には
 
「もう、私はここで充分だ」
 
という人もいれば、
 
「ここまでは来た。
 でもあの崖はダメだ。
 私も登ってみたけれど、ダメだった」
 
という人もいました。
 
 
 
色んな人がいて、いろんな意見がある。
 
それは、どこにいても同じことでした。
   
 
 
「さぁて、、、」
 
 
今まで崖を登ってきた人は
さらに大きな崖を見上げました。
 
 
そして。。。
 
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク