いまさら言うまでもないんだけれど、
私のまわりは、良い意味で変人が多い。
前回話をしたアロマの先生も
良い意味で変わり者だし、
他にも株取引で利益をあげて
ずーっと温泉旅館のはしごをしながら生きている人とか、
東南アジアで自分の村を開拓しようとしている人とか、
サハラ砂漠を横断するマラソンレースに
ピクニック気分で参加する人とか、
まぁ、
「変人のデパート」
みたいなありさまです。
ナンデ ダロウネ ?
ワタシ ハ マトモ ナノニ(笑)
でもね。
この話もアロマの講師の方が話していたことから
インスピレーションを得たんだけれど。
実は、
常人として生きるのは、危険な側面もあり、
変人として生きるのが、命を保つ面もある。
ということらしいぜ?
どういう事かと言うと。
たとえば、病気、ガンなどになったとする。
それで、ものすごく辛い闘病生活とか
手術を経て、なんとか治療できたとしよう。
しかし、なぜかまた再発してしまう人と
そのままほぼ完治に向かう人というのがいるそうで、
その分かれ目が
「生き方を変えたかどうか?」
というのが、とても大切なんだそうだ。
手術をして、問題のガンは切除できた。
しかし、その後の生活を変えずに、
元の生活に戻って行った人は、
しばらくすると再発をする人が多いらしい。
しかし、手術後に何か大きな学びをして
生き方をガラリと変えた人は、
その後はガンとは無縁の生活を送ることも多いらしい。
もちろん、一概には言えないのかもしれない。
また、私自身は何年も苦しむ大病を患ったことがないので
わかったような口をきくつもりもない。
ただ、アロマの先生は、ご自身が
難病に悩まされていた経験もあるし、
病気を患っていた、他の大勢の人の変化にも立ち会っている。
そんな人が言う言葉は、とても説得力があるなぁ、
と思うんだよね。
話を今回のテーマに戻すと、
常人という生き方は「常」を大切にする人だよね?
この「常」が良好に機能している間は、
もちろん「常人という生き方」で、何の問題もないのだろうし、
それで一生が過ごせるのであれば最高にハッピーだ。
しかし、病気や災難、トラブルや事故という
事が起こった時には、いやおうなしに
今までとは違った環境に身を置かざるを得ない。
その時に
「以前と同じように生きられるようにしよう」
と、それまでの「常」を求めようとすると、
そこに大きな「ひずみ」が生じるのかもしれない。
もしかしたら、病気は
「今までのあなたの生き方を変えた方がいいよ,YOU!」
と教えてくれているのかもしれない。
もしかしたら、事故やトラブルは
「もっと、あなたにしかできないことがあるよ,YOU!」
と、未来から扉をノックしてくれているのかもしれない。
その時に
「今までの常」
に、必死でしがみつこうとすると
本人も大変だろうし、なにより
「もう、なにしちゃってるんだよYOU。
こっちのコールに気づきなよ!」
「HEY YOU!
それなら、YOUが気づくまで、
病気や事故・トラブルを持ってくるぜBABY!」
と、ナニモノかが頑張って病気が再発したり、
事故・トラブルが、さらに大がかりなものになっていくのかもしれない。
そんな時には、もう観念して「変人」になっちゃった方が
いいのかもしれないよね?
「変人」という生き方。それは「変」を大切にする人。
「変わる」ことに抵抗感を感じるのではなく、歓迎する人。
「変える」ことに、自分のエネルギーを注げる人。
「常」であることに問題がない人生であれば
「常人」「常識人」と言われて満足する人であればいい。
でも、
今の「常」で問題があるのであれば、それは
「変人」の扉がノックされている状態なのかもしれない。
肉体的な健康。
精神的な健康。
経済的状況。
家族との関係。
パートナーとの関係。
友人や職場、コミュニティの人間関係。
時間の使い方、日々の暮らし方。
夢。
現状の「常」で満足できているのであれば、
もう何も言う事はない。
でも、そうではないのであれば、
「変」を取り入れる以外に、道はない。
私としてはそう思うんだけれど、
あなたはどう思うだろう?
「なるほど、変化したいです。変人バンザイです。
でも、どうやったら変われるんですか?」
と思う人もいるかもしれない。
まぁ、たしかに変わるのって、難しいよね。
でもたぶん、もう何らかのサインが出ているんじゃないかな?
健康状態、経済状態、人間関係、時間。
特に問題があるところが、日常生活になんらかのサインを
送っているかもしれない。
健康状態なら、食べ物や生活習慣に。
経済状態なら、仕事の成績や職場環境に。
人間関係なら、あなたの居場所に。
時間なら、あなたという人間の可能性に。
今起きている問題から逃げるのではなく、
「ああ、これ、変人からのラブコールだわ」
「変人が扉をノックしているわ」
と思って、歓迎すればいいのかもしれない。
(しかしまぁ、
このセリフの字面はひでぇもんだが。笑)
さてさて。
変人と言う生き方は、
「変」を受け入れ、大切にする生き方。
その「変」を受け入れ、大切にする生き方をしていれば、
同じような「変人たち」が引き合い、
共に励まし、助け合える。
そして、「変わる」「変える」を、プラスの現実にしてゆく。
そしていつの日か、もしかしたら、
本人だけでなく、
個人だけでなく、
社会や、世界を変えるかもしれない。
少なくとも、世界に変化をもたらせるのは、
自分の「変」を受容した「変人たち」以外には
なし得ないのだから。
ではでは。