今日の話も、先日飲んでいた時に
兄貴分が言っていた言葉より。
その人は言う。
「結果を出す、ということは地味だから」
この言葉の意味を、飲んで帰る道すがらに
考えてみたんだよね。
この言葉を、
「派手な結果を求めるのではなく、
地味な結果を積み重ねることが
本当の結果である」
と捉えることも出来るだろう。
また、
「どんなにスゴイ結果であっても、
地味だ、と捉えておいた方がいい」
と捉えることも出来るかもしれない。
他にも、様々なとらえ方が出来るだろうし、
どんな捉え方をしても
「その解釈は、間違い」
という事は、ないと思う。
その上で、現時点で私が
インスピレーションを受け取った解釈を
シェアしたいと思う。
さてさて。
私が思ったのは、
「結果を出す、ということは地味である」
というのは、自分に対するいましめでもなく、
コツコツした努力の推奨でもなく、
本当に言葉通りの意味だなぁ、ということ。
それだけだと分かりにくいので、少し言葉を足すと
「結果を出す、ということは、
結果を出す前の変化に比べて、地味である」
ということだと思ったんだよね。
どんなジャンルにしても、
結果、成果を出すためには、さまざまな試行錯誤がある。
行動も変えなければいけない。
新たに学ぶことも必要になるだろう。
新しい人との出会いが必要だったり、
旧知の人へのアプローチを変えることもあるだろう。
今までとは違う時間の使い方を
試さなければならないかもしれない。
そこには、
「今までの自分の否定」
をしなければ乗り越えられない事も
出てくるかもしれないし、もちろん、怖さもある。
そんな、さまざまな自分との戦いを経て、
何かしらの「結果」というものが出る。
その結果・成果の大小は関係なく、
何かしらの変化が起こったから、
今までとは違う結果を導き出したのだろう。
と、いうことは。
結果を出す、あるいは結果を出したなんてことは、
結果を出す前の自分の内面での変化に比べれば、
全然地味な事なんじゃないかな?
なんて思うんだけれど、どうだろう?
そして、自分の内面の変化にしても、
普通は劇的に変化が起こるんじゃない。
日常の暮らしの中で、徐々に、
ゆっくりと変わっていくことが多いだろう。
地味に、ゆっくり、
いつのまにか髪が伸びているように。
いつのまにか朝が昼へと移り変わるように。
季節がめぐるように。
大きな変化ではなく、内面の地味な変化を繰り返し、
その変化が一定の基準に達すると、
外の世界に「結果」として何かがもたらされる。
その「結果」は、他の人から見たら
「なに!?どうしちゃったの!?」
「ものすごいホームランだねー!」
と思われるようなものかもしれない。
でも、たぶん本人からしてみれば、
「外側に見える結果なんて、
内側の変化に比べれば、地味だわ」
と思えるようなことが多いんじゃないかなー
なんて思う今日この頃。
たぶん、あなたも
「欲しくてたまらなかったものが、
いざ手に入れてみると、それほどでもなかった」
という経験はした事があると思う。
それは、あなたが飽きっぽいとか
移り気だということではない。
「それ」を現実に手に入れられたということは、
あなたにとって必要な変化は、すでに完了したということなので、
それほど魅力を感じなくなっているというだけだ。
そして、
「結果を出すということは、地味」
という事があるからこそ、
私たちはまた、新しい自分の変化を求めて
一歩を歩きだせるんじゃないかな?
とも思う。
結果を出した自分に満足することも大事。
そして、その結果を「地味」だと
自然に思えてしまう心も大事。
そんな風に思うんだよね。
さて。
これからのあなたは、
どんな「地味な結果」を出すために
日々を過ごしていきますか?
ではでは。