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悩みという魔法。

先日、とある方と話をしていて、
 
「ああ、本当にその通りだな」
 
と痛感したことがある。
 
 
 
どんな話かというと、
 
 
「悩みは、発明品である」
 
 
という話。
 
 
 
どういうことか?というと。
 
 
人間、生きている間には
たくさんのことで悩む。
 
 
どんなに恵まれた環境にいたとしても、
 
「人生の中で、悩んだことがない」
 
という人は、ほとんどいないだろう。
 
 
 
少なくとも、この記事を読んでいる人の中で
 
 
 
「ワタクシ、悩んだことなんてありませんのよオホホ」
 
 
「悩み?それは遠い国のお菓子か何かかしら?」
 
 
「生まれてこの方、悩みがないのが悩みですの」
 
 
 
なんて人はいないから、ザ・ナカーマだ。
 
(てか、3番目の人、悩んでるやん)
 
 
 
 
で。
 
 
 
その悩みの内容は多岐にわたると思うんだけれど、
考えてみると、悩みは意識、無意識に「作った」ものも多い。
 
 
 
物欲なんかは典型的な例で、
 
 
「ああ、〇〇のバッグが欲しい~~!」
 
とか、
 
「あそこの〇〇を手に入れないと!」
 
 
みたいなのは、そのモノが「ある」と知ったからこそ
「欲しい」という欲求のスイッチが押されるわけで、
存在を知らなければ、欲しいもナニも、あったものじゃない。
 
 
メディアの広告や、ショーウィンドウなんかは、
「欲しい」と思わせる
「欲求教育の魔法」をかけているもの以外の、何ものでもない。
  
 
これは、他者がかけようとした「魔の法」に、
喜んで自分からかかった例といえる。
 
 
 
 
 
また、
 
 
人間関係の悩みも、恋愛の悩みも、
該当する「その人」と出会うまでは発生していなかったものだ。
 
 
「あの人は、〇〇すべきだ」
 
「あの人と、こうなれればいいのに」
 
「なんで、あの人と、こうなれないんだろう?」
 
 
という悩みも、
 
 
「自分と、あの人には関係がある」
 
 
という自分の勝手な意識が作っているものだから、
自分が自分にかけている「魔法」と言える。
 
 
 
だって、相手からしたら、こっちの存在なんて
とるにたらないものだったり、
存在すら知られていないことすらあるんだから、
完全に、実体のない「魔法」だよね。
 
 
 
 
健康問題ですら、同じことが言える。
 
 
「病名」という呪文をかけられて
 
「自分は病気だ」
 
と思うのは、他者が勝手に名付けた病名という魔法に
自らかかりに行っているようなものだ。
 
 
 
「成人の約7割は、〇〇病か、その予備軍です」
 
 
って、むしろその病気じゃない人の方が
マイノリティーなのに
 
 
「問題だ!」
 
 
というのは、そこに魔法をかけようとする
呪文のワナがひそんでいる。
 
 
 
 
極論すれば、どんな病気でこの世を去ろうが、
 
「寿命」
 
のひと言で全部を言えることでもある。
 
 
 
「現代人の平均寿命は、約75歳です」
 
 
と他者が統計をとっていたとしても、
別にそこまで生きなければいけないわけでもない。
 
 
自分にとっての寿命だった。
 
 
そこまで割り切ることができれば、悩みなんてない。
 
 
 
 
 
ただ。
 
 
 
「だから、どんな悩みも魔法なんだから無駄だよ」
 
 
「悩みなんて勝手に発明されたものなんだから
 バカバカしいよ」
 
 
とだけ伝えたいわけじゃない。
 
 
 
ただ、悩みで自分が押し潰されそうな時は、
 
 
 
「これって、誰かが作った発明品なんだ」
 
 
「この魔法は、今の自分にとって必要だろうか?」
 
 
「そろそろ、この魔法から卒業してもいいかもしれないな」
 
 
 
なんて、ふと肩の力を抜いてしまってもいいんじゃないかな?
なんて思う今日この頃。
 
 
 
どんな人生であれ、「枠」は発生してしまうし、
すべての「枠」を取り去ったら、
この世では生きて行けない。
 
 
ただ、今、自分がおさまっている「枠」が
窮屈に感じるのであれば、
 
その「見えない枠」を作りだしている魔法を
解いて、別の選択をしても、いいかもしれないよね? 
 
 
 
自分で作った魔法にしても、
 
他者が作った魔法にしても、
 
 
「かかり続けていよう」と決めているのは、
自分自身以外には、いないのだから。
 
 
ではでは。

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