私は、よく失敗する。
うまくいかないことも、やたらと多い。
生きていれば色々あるんだから
失敗したり、うまくいかないこともあって当たり前。
ただ、最近はまわりから
「イグゼロさんは、なんか器用に
うまくやっていますよね」
「あんまり、失敗なんてないんでしょう?」
と言われることが多い。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。
どこ見て、そんな風に思うの?
私は失敗の大展示場みたいなものだよ?
でも。
他の人から見て器用にやっていると思われるのは、
理由がわかるような気がする。
器用にやっていると思われる理由。
それは、
「どこまでもプラン」をクセにしているから。
少し説明をすると。
ビジネス本なんかを読んでいると、よく
「プランBを持っておこう」
みたいな話が出て来る。
今やっていることが上手く行かなかった時に実施する
「次の手」みたいなもののことだね。
例えば、デートとかで
「今日は、あそこのイタリアンを食べに行こう」
とプランしていたとする。
でも、実際に現地に行ってみると、
お店が臨時休業していたり、
貸し切りパーティをやっていたり、
長蛇の列になっていたりすることもある。
その場合、
「じゃあ、今回は別の、あの店に行こう!」
と、別の店にめどを立てておくのが、
「プランB」の考え方。
で。
通常は、プランBを心づもりしておけば大抵大丈夫だし、
そこまでやっておけば充分だろう。
ただ、私ができるかぎり意識しているのは、
「プランBに移行した瞬間から、
プランCも考え始める」
ということ。
もしかしたら、プランBもダメになる可能性は
あるじゃない?
なので、
「プランAがダメになり、
プランBに切り替えた瞬間から、
プランCを用意し始める」
ということは、出来る限りやろうとしている。
プランAのイタリアンに入れなかったら
プランBのスペイン料理に向かう。
そして、スペイン料理に向かっている最中は、
プランCを考えるわけだ。
もちろん、プランBもダメで、
プランCに切り替えたのだとしたら、
プランDを考え始める、、、、と、
「線路はつづく~よ~、ど~こまでも~♪」
というノリで、
「プランはつづく~よ~、ど~こまでも~♪」
となるわけだ。
プランを考える際、
私が個人的に大切にしているのは、
「そこで得たい結果」
はブレさせない、ということ。
まぁ、書くまでもないことかもしれないんだけれど、
さっきのイタリアンの話だったら、
もし「得たい結果」が、
「相手との楽しい時間」
だったら、相手との合意の中で
別の素敵な店を探すのが「次のプラン」となり、
「どこならば楽しい時間をすごせるか?」
が、自分に問いかける質問となる。
でも、「得たい結果」が、
「ここのイタリアンを食べる」
ならば、どうにかしてこの店に入れないか?
を考えるのが、「次のプラン」の軸になる。
だから、自問する質問も、
「どうすれば、この店にスムーズに入れるか?」
というものに変化するのは、
まぁ、当たり前と言えば当たり前だよね。
文章で書くと
「そんなの、当然すぎる」
と思うだろうけれど、いざ現場になると
「得たい結果」がブレてしまうことは、よくある。
「相手との楽しい時間」を求めていたのに、
お店にこだわってイライラすることになったり、
「絶対ココで食べたかったのに。。。」と
後悔するような事にもなったりする。
色んな人を見ていると、
最近は「プランB」まで考えている人は
本当に多いと思う。
そして、プランBまで考えていれば、
ものごとの8割くらいは、上手く行くと思う。
ただ、私の周りにいる、本当にうまくやるなー、
と舌を巻く人は、
「得たい結果」の軸はブレさせることなく、次々と
プランC、プランD、プランE、、、、プランZ。
それでも足りなくてプラン「ア」「イ」「ウ」。。。
と、考え続けている人が多いと思う。
「得たい結果」の軸をブレさせることなく、
へこたれず、次のプランをひねり出せる人が、
最終的に
「器用にやっている人」
の評価をもらうのかもしれないね。
まぁ、理想的に言えば、はじめに考えた
「プランA」
が、綿密に計算し尽くされていて、
すべての面においてうまくいくのが
いいに決まっている。
また、「プランA」を考えた時に、
すでに「プランB」だけでなく、
「プランC」から「プランZ」まで、
たくさん考えている方がベターだ。
ただ、少なくとも私のような凡人には
そんな綿密さも、未来予知能力もないので、
「上手く行かなかった直後に
次のプランを考え始める」
というのが、ギリギリできる範囲(笑)
人からどう見えているかは別にして、
個人的には、もう少し余裕を持って
器用に生きていきたいものです。
ではでは。