スポンサーリンク

「知る」4レベル。

何かを学んでゆくとか、
誰かを理解してゆくとか、
とにかく「知る」ということを
私たちは毎日やっているよね。
 
 
「知る」ということは、
私たちの日常生活になじみ過ぎていて
良く分からない部分もあるんだけれど、
 
 
「ああ、この人は、コレについて理解しているな」
 
「この人は、今はこの段階なんだな」
 
 
と、なんとなく測れるレベルがあるように思う。
 
 
 
もちろんそれは、誰か他の人を評価する場合だけではなく、
 
 
「あ、私はこの事については、
 このくらいの理解レベルなんだな」
 
 
と、自分を客観視する指標にもなるように思う。
 
 
そんな4レベルがあるので、
今回はそれをシェアしたいと思う。
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
何か、もしくは誰かを知ってゆくという時にも、
私たちには、どうしても付きまとうものがある。
 
それは、自分自身の「感情」。
 
 
人間だから、どうしても感情を抜きにしては
なんの行動も取ることができない。
 
逆に、自分の感情の動きで、
何か(誰か)に対する理解度はかなり違うし、
深さも、ある程度把握することができるように思う。
 
 
私が考える「知る」レベルには4段階あるように思う。
 
 
それは、
 
 
レベル1:「無関心」
 
レベル2:「憧れ」
 
レベル3:「落胆や嫉妬」
 
レベル4:「真の理解」
 
 
といったもの。
 
 
 
まぁ、文字通りなんだけれど、ちょっと説明すると、
 
 
レベル1:「無関心」は、
そもそもその対象に興味を持っていない状態。
 
それは、まったく知らない未知の存在という場合もあるし、
 
アタマでは
 
「知らなきゃいけない」
 
「勉強しなきゃいけない」
 
「理解すべきだ」
 
と思っていても、心では、どうしても関心が持てない、
みたいな状態もある。
 
 
このレベル1だと、どうやっても、何も身につかない。
 
 
なーんも関心がない学校の科目だったら、
頑張って一夜漬けしても、テストが終わればキレイに忘れてしまう。
 
興味を持った方がいいんだろうなー、という
お得意先や上司や後輩、あるいは近所の人とかでも、
意識して好きになろうとしても、いつのまにか存在を忘れる。
 
 
そんな感じだと思うんだよね。
 
 
まぁ、社会生活上、
 
「責務として必要」
 
みたいなシーンは、どうしても出て来ると思うけれど
感情が動かないのであれば、そんなに無理してやることもないんじゃない?
 
と思うのは、私がワガママだからか?(笑)
 
 
人によっては、人生の8割以上を
 
「無関心なものに時間とエネルギーを捧げる」
 
という人もいる。
 
 
でも、それは素敵な人生になるかは、私は
ノーコメントとさせていただきます(笑)
 
 
 
 
次のレベル2:「憧れ」になると、
関心の度合いは非常に高い。
 
 
「これを深く知りたいな」
 
「あんな風になれたらいいな」
 
「あの人とお近づきになりたいな」
 
 
と、好意を抱く状態になると、
その事や対象となる人について、
どんどん知ろうとする。
 
時間があれば、誰に指示されなくても
その対象について考えるし、
時間もエネルギーも割く。
 
さらに興味や好意が高まれば
 
「寝る間も惜しんで」
 
とか、
 
「寝ても覚めても」
 
みたいな状態になるわけだよね。
 
 
そんな燃える状態だと、対象が
 
仕事であれ、
 
何かの学びであれ、
 
スポーツであれ、
 
人であれ、
 
どんどんのめり込んでゆくわけだ。
 
 
 
しかし、そこで理解は終わらない。
 
 
レベル3:「落胆や嫉妬」というステージがあるからだ。
 
 
ある程度、理解が深まると、
その対象との距離は縮まる。
 
それはもちろん良い事なんだけれど、
 
「憧れ」
 
の時には見えていなかったことも見えてきたりするし、
自分が「そのステージに行けそう!」となると、
それをすでに体現している人に嫉妬したりもするもんだ。
 
 
「これさえ学べば、魔法のようにお金が儲かる!」
 
と思っていた株の取引を知ると、
実は魔法じゃなくて、泥くさくて地味な作業だったりするし、
 
 
「あの人、最高にカッコいい!」
 
と思っていた人が、近づくいてみると
実は普通のオッサンだったり、
 
 
「わぁ、あんな世界に入れたら、もう何もいらない!」
 
と思って近づいた世界が、
自分に近づけば近づくほど、嫉妬する人も増えたりもする。
 
 
 
この世にあるすべての
ものも人も、万能で完璧な存在はひとつもない。
 
 
憧れが強かった分、落胆や嫉妬、
もしくは憎悪みたいな感情が出て来るけれど、
それは、ラストステージに行くための壁のように思う。
 
 
 
ちなみに蛇足だけれど、
レベル2の「憧れ」を飛ばして、
いきなりレベル3に入る場合もある。
 
「あの人、大嫌い!」
 
とか、
 
「これって、信じられない」
 
みたいな「憎悪」から入る場合ね。
 
 
その場合は、よほどのことがない限り、
「それ」について永遠に理解することは出来ない。
 
 
順番が逆になっても、
レベル2のポジティブとレベル3のネガティブは
両方体験しないといけないような気がする。
 
 
 
 
で。
 
 
ラストのレベル4で「真の理解」に行きつくように思う。
 
 
「それ」の良い部分も、そうでもない部分も知っている。
 
でも、その存在そのものを愛している。
 
 
私にとっては、
株の取引は、魔法でもないし、良いことばかりでもない。
でも、学び続けるし、やり続ける。
 
 
人だって、
完璧に良い人じゃないかもしれないけれど、
そんなこと言ったら自分なんて、もっとひどい。
愛している。
 
 
良し悪しをすべてひっくるめて、
それを深く知る。
 
 
そんなレベルになると、
やっと「知る」の新しいスタートになるのかもしれないよね。
 
 
 
無関心から憧れに入り、
そこで落胆もするけれど、愛が生まれる。
 
 
何かの学びに対しても、
 
友人とか、異性とか、親とか、自分とか
人に対しても、
 
そんなプロセスを経るのかもしれないよね。
 
 
 
 
 
そして。
 
 
個人的には、何かを学ぼうとした時には
 
「真の理解」
 
をしている人から学ぶのが、もっとも良いと思う。
 
もちろん、その学びのジャンルごとにね。
 
 
「真の理解」にもレベルがあるのだろうけれど、
少なくとも、
 
 
「別に興味も関心もないんだけれど、
 仕事上しかたなく教えている」
 
なんて人から学ぶのはイヤだし、
 
 
「それを理解しようとキラキラ目を輝かせて
 憧れている人の押しつけがましい教え」
 
も、
 
「それに対して自分がどんなにがっかりし、
 嫌悪や憎悪を持っているのか」
 
も、聞きたくない。無意味やから。
 
 
 
そうではなくて、
 
「酸いも甘いも分かっているけれど、
 私はこれが好き」
 
「万能なんて言わないけれど、
 私の道はコレだし、他の人にも
 その魅力に触れてもらいたい」
 
と思っている人から学びたいなー、
なんて思う。
 
 
ちょっと言動に気をつけていれば、
その人が「それ」に対して、どこのレベルにいるのかは
すぐに分かると思う。
 
 
ま、私自身は、どのジャンルで
「真の理解」レベルに行っているのか、分かんないし、
レベル4以外はダメ!なんて言うつもりもないんだけれどね。
 
 
いろいろあっていいし、いろいろあるから面白い。
 
 
参考になったら幸いです。
 
 
ではでは。
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク