彼女は、人が嫌いだ。
正確に言うと、人とのコミュニケーションが苦手で、
ささいなやり取りにもストレスを感じてしまうのだった。
いつ自分が傷つくような事を言われるのか分からない。
いつだって、自分が受け入れられることはない。
そんな経験を何度も何度も重ねてきた結果、
「それだったら、自分の思いや意見は心の中にしまって、
最低限の付き合いだけで生きていこう」
と、そんな風に決めて何年も過ごしてきた。
本当は自分が悪いわけではないと思っても、
相手がムッとした顔をしたのであれば
「あ・・・はい、すみませんでした」
とだけ言って、その場を立ち去るようにしてきた。
相手が「で、あなたはどう思うの?」と彼女の意見を聞いて来た時も
「あ・・・わかりました。あなたの言う通りだと思います」
とだけ伝えて、特に自分の意見を言う事は
なくなってしまった。
彼女自身は、それで充分満足していた。
人に傷つけられる危険を冒してまで
誰かとコミュニケーションを深めるなんて、
自分にはとても出来ないことなのだから。
—
彼女は、神社やパワースポットを巡り歩くのが好きだった。
一人で神社やパワースポットに出向き、
そこでの空気を感じる。
誰にも邪魔されずに、自然とたわむれる。
はるか昔の人が作った建造物を見て、思いを馳せる。
自然や建造物なら、彼女を傷つけることはない。
なにも話さなくていい。
その場に行って、パワースポットから
パワーをもらってくればいいのだから。
この日曜日も、彼女は前から気になっていた
神社に足を運んでみることにした。
有名な神社やパワースポットは
ほとんど行きつくしていた彼女が今回行った神社も
日曜日であるにもかかわらず、人はまばらだった。
でも、彼女にとってはその方が居心地がよかった。
人がたくさんいるというだけで
なんとなく呼吸も苦しくなる。
人は少なければ少ないほどいい。
おさい銭箱に小銭を放り込み、
静かに手を合わせる。
特に何を祈るとか、願うという事はないのだけれど
なんとなく、
「幸せになりますように」
と、心の中でつぶやいてみる。
神社の本殿から離れ、神社の由来を読んでみると
この神社は良縁祈願に特に効く神社という事だった。
「ふぅん・・・」
彼女にとっては、「良縁」という言葉は
なにか遠い外国の言葉のように感じられた。
男性との縁はもちろん、同性の友達との縁も
さほど感じることができていなかったからだ。
そこに。
神社の由来が書いてある看板の奥に
小さな道が続いていることに気がついた。
おそらく、もうずいぶん前から
誰も通ったことのないように思われる小道。
申し訳程度に敷かれた石畳にも
びっしりと苔が生えてしまっている。
「こんな道、誰も気がつかないんだろうな・・・」
彼女はそんな風に思ったが、
逆にそんな小道に親近感を抱き、興味が湧いてきた。
この道がどこにつながっているか分からないけれど、
まず間違いなく、この先に行っても誰もいないだろう。
ゆっくりと落ちつける場所があるかもしれない。
何より、その道が彼女に「おいでおいで」と
手招きしているようにも感じられた。
「怒られたら、すぐに戻ればいいよね」
と、彼女は自分に言い訳をしたあと、
その小道を進んで行った。
苔に足をとられて、
何回か転びそうになりながらも道を進む。
何回か曲がり角はあったものの、
その小道は、思っていたよりも短く
すぐに一番奥まで到着してしまった。
一番奥には古びた、小さな石像が
ひとつ置かれているだけだった。
その石像には文字が彫られているものの、
ところどころが欠けて読みにくくなっていて
よくわからない。
しかし、目を凝らして読んでみると、
「思いは玉となって放たれ、巡る。
巡らない思いは、よどむ」
といったような意味が書かれているようだった。
そして、そこにはそれ以外、他に何もなかった。
彼女は拍子抜けしながらも、
「まぁ、なにか驚くようなものがあったら
他の人も見つけちゃうものね」
と思い直し、とりあえず、なんとなく
その石像にも手を合わせた。
「幸せになりますように」。
そして彼女は、その場を立ち去った。
—
「!?」
小道を抜けた彼女は、
その異変が、はじめ何なのか理解できなかった。
他の人を見ると、全員の心臓の位置に
なにか柔らかい玉のようなものが浮いて見える。
大きさも色もまちまちで、
小さな「玉」の人もいれば、
身体から溢れそうに大きな「玉」がある人もいる。
明るい色の「玉」を持っている人もいれば
なにか濁ったような、薄汚れた「玉」の人もいる。
そして、誰かが他の人に何かを話すと、
その「玉」から小さな玉が飛び出し、
相手の「玉」に吸い込まれてゆく。
また相手が話すと、
同じように「玉」から小さな玉が飛び出し
相手の「玉」に吸い込まれてゆく。
「なに・・・?これ・・・?」
彼女はまわりの光景に驚いたが、
先ほどの石像に彫られていた言葉を思い出した。
「思いは玉となって放たれ、巡る」
どうやら彼女は、他の人の「思い」が「玉」となって
見えるようになってしまったようだ。
信じられないが、見えてしまうものは
どうやっても否定できなかった。
彼女は見える世界の変化にしばらく戸惑っていたが、
人を観察しているうちに、だんだんと面白くなってきた。
やさしいピンク色の、丸い「玉」を飛ばす人。
氷のように冷たい色の、ところどころにトゲのある「玉」を飛ばす人。
また、誰かが飛ばした「玉」も、必ずしも
相手の心臓にある大きな「玉」に吸い込まれるわけではない。
相手が拒否をして、そのまま地面にポトリと落ち、
そのまま地面に吸い込まれるような「玉」もあった。
彼女はそんな「玉」を見ると、
いつも自分が他人にされている事を思い出して、
いたたまれなくなった。
神社を出て街に出てみると、
大きな街頭スクリーンで、テレビでよく見る有名人たちが
大きな声を張り上げてしゃべっている映像が流れていた。
心臓にある「玉」の色は様々で、
輝いているように見える有名人もいれば、
どす黒い色の有名人もいた。
しかし、「玉」の大きさはどの有名人も大きく、
その人の持っている「思い」の大きさを
物語っているようにも見えた。
「じゃあ、私の思いは
どんな色で、どんな大きさなんだろう?」
彼女は自分の心臓のあたりを見てみたが、
「玉」は見えなかった。
「もしかしたら、自分のは、見ることができないのかしら?」
とも思ったが、彼女は自分の「思いの玉」を
どうしても見てみたくなった。
私は、たしかに人とのやり取りは苦手。
でも、「思い」は、この胸に
たくさん、たくさん秘めている。
誰よりも、「思い」は大きいはずだわ。
彼女は足早に近くにあった化粧室に入り、
鏡に映し出された自分の姿に目を凝らした。
あった。
鏡を通すと、彼女の胸にも「玉」はあり、見えていた。
でもその「玉」は、今にも消え入りそうなほど小さく、
そして、なんの個性も感じられない
よどんだ茶色をしていた。
「そんな・・・・・・」
誰よりも我慢して、誰よりも気をつかって、
自分の「思い」は胸に秘めてきたつもりだったのに。
ずっと胸に秘めている間に、
私の「思い」は、こんなに小さく、よどんでしまったの?
彼女は、石像に書いてあった言葉を
もう一度思い出した。
「思いは玉となって放たれ、巡る。
巡らない思いは、よどむ」
そうなのだろうか。
いや、きっとそうなのだろう。
動きのない水たまりの水は、
はじめどんなにきれいであっても、
そのうちよどんで汚水となってしまう。
締め切った部屋の空気も、よどんでしまう。
風が動かないところは、空気も重い。
きっと心も、そうなのだろう。
傷ついたりすることもあるだろうけれど、
心が動かないでいると、心は重くよどんでいく。
そして、いつのまにかその思いまで小さくなっていく。
自分では、気がつかないうちに。
「そうか・・・
でも、今さら、どうすればいいの・・・?」
彼女は、今歩いて来た道を戻り、
さっきまでいた神社へと走って行った。
神社の脇の小道に入り、
先ほどの石像の前に立つ。
「石像さん。
私は、どうすればいいの?
どうすれば、私の思いは届くの?」
すると。
彼女の胸から、「玉」が飛び出し、
一直線に石像に向かって飛び込んで行った。
彼女の「思い」は、石像へと放たれた。
彼女の小さな玉は、石像に吸い込まれた。
彼女の思いは、石像に受け入れられたのだ。
そして数瞬を置いて、
石像から大きな、あたたかな「玉」が
彼女に向かって、ゆっくりと放たれてきた。
石像は、彼女の思いに応えたのだ。
彼女は、それを見て安心し、
手を広げて「玉」を迎え入れる。
しかし。
石像から放たれた「玉」は、
彼女の胸に吸い込まれることなく、
彼女に弾き飛ばされ、むなしく地面に落ちた。
そして、石像が放った、あたたかな「玉」は、
まるでシャボン玉がしぼむように地面に吸い込まれて行った。
彼女はその光景をただ唖然と眺めていたが、
大きな事実に気づき、涙を流した。
そうか。
他の人が私を拒否していたわけじゃないんだ。
私の方が、他の人の「思い」を無視して拒否していたんだ。
大好きなパワースポットに行った時ですら、
そのパワースポットの「思い」なんかに目も向けず、
「自分がもらえるもの」
だけを奪って来たんだ。
拒否をしている私には、他の人がどんなに頑張っても
あげられるものなんて、あるわけないんだ。
彼女はただ静かにたたずむ石像の前で、
膝をがっくりと折って泣き崩れた。
—
次の日。
彼女にはもう、人の「玉」を見る能力はなくなっていた。
昨日一日だけの、一時的な力だったのだろう。
彼女は身支度を整え、職場へと向かう。
オフィスには、いつも顔を合わせるメンバーが待っているだろう。
顔は合わせるものの、ほとんど口を聞かないメンバー。
彼女の方から雑談の輪の中に飛び込むことは皆無だった。
でもそれは、他の人が拒否をするよりも前に、
彼女の方から関係を断っていたのだ。
オフィスに到着する。
オフィスのドアを開けると、
いつものメンバーが数人、朝の雑談を交わしていた。
いつもは黙ったまま、自分のデスクにつく彼女。
しかし今日の彼女は、そのまま給湯室に向かい、
今いるメンバー全員分のお茶をいれた。
トレイに全員分のお茶を乗せ、
雑談をしているメンバーのもとへと歩いてゆく。
手が震える。
メンバーのうちの一人が、
彼女の存在に気づいた。
彼女がお茶をいれてきたことに
びっくりするような表情をして、
仲間に彼女を見るようにうながしていた。
何人もの目が、彼女に向けられる。
でも、その表情は、
心なしかいつもよりも柔らかいように
彼女には感じられた。
また今日も、なにげない、
でも二度と訪れることのない一日が巡る。