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人生の味覚。

しかしまぁ、なんですなぁ。
生きているだけで、様々なことがございまして。
 
 
おかげさまで、いろいろなジャンルの方々と
お話しする機会があるんだけれど、その度に、
 
 
「そんなことまであるんですか!?」
 
とか、
 
「それは、おつらかったでしょう。。。」
 
 
みたいな話を聞くことも多い。
 
 
 
で、そんな話を聞いている私自身も例外ではなく、
日々いろんなことがあって、
 
 
「うわぁぁーー!!
 やってられるかぁぁぁあーーっ!!」
 
 
と、「エアギター」ならぬ、
「エアちゃぶ台がえし」をしたくなることもある。
 
 
 
 
ただね。
 
 
 
なんとなく最近思っているのは、
 
 
「できごとに対して動く自分の感情って、
 味覚に似ているなー」
 
 
なんていうこと。
 
 
 
どういうことか?と言うと。
 
 
 
ほら、
 
味覚って、自分の年齢や成長に合わせて
どんどんと複雑な味が分かるようになるじゃない?
 
 
子供の時には、甘いものが大好きで、
苦いものやすっぱいもの、しょっぱいものは好きじゃない。
 
 
それが、年を経るに従って
すっぱいものやしょっぱいものも好きになってゆき、
 
辛いものも食べられるようになってゆき、
 
苦いものも味わい深く食べられるようになってゆく。
 
 
そして、年老いてゆくと、
また甘いものが好きになってゆく、というサイクル。
 
 
 
最近は、舌の味覚地図
(舌の先で甘味を感じて、奥で苦味を感じるっていうアレ)
というのは、否定されているという説もあるんだけれど、
 
 
「甘いものから好きになり、
 苦いものの味わいも分かり、
 そして甘いもの好きへと還ってゆく」
 
 
という流れ自体は、共感してもらえるだろう。
 
 
 
で、
 
 
言葉ってのはおもしろいもので、
その味覚に合わせたかのように
それに対応した言葉がちゃんとあるんだよね。
 
 
 
たとえば、
  
「お前、その考えは甘いよ」
 
みたいな言葉があるじゃない?
 
 
それって、考えに深みがなく「先っぽ」だけで
考えている時に使うだろうし。
 
 
 
また、
 
 
「オウ!マイ スウィ~ィィティ!」
 
 
みたいなのは、
「熟慮」とはまったく別の世界の直感的な好意だし、 
その、たゆたうような感覚は
やさしく包み込むような味わいがある。
 
 
 
さらに、
 
 
「甘酸っぱい、初恋の味」
 
 
みたいな言葉は、包み込むようなやさしい感覚の中にも
「心の舌端」では、ちょっとした痛みを感じていたりもするし、
 
 
 
「お前、しょっぺーなー」
 
なんていう表現は(ちょっとした方言なのかな?)
ど真ん中直球のやり方ではなく、
端っこをついたようなことをやった時に言われたりする。
 
 
 
辛味というのは、実は味覚じゃなくて痛覚らしいので、
 
「辛い(つらい)」
 
という言葉が
 
「辛い(からい)」
 
と同じなのは、実に言い得て妙だなー、
なんて、昔の人に頭が下がる。
 
 
 
 
 
そして。
 
 
 
たぶん、人生において
 
 
「苦しい」
 
 
というのは、できれば避けたいことではあるけれど、
この苦しさと言うのは、今までの話の流れに則ると、
 
 
「苦味」
 
 
になるよね?
 
 
 
 
で、
 
 
おそらく間違いなく、人生における
 
「苦しみ」
 
というのは、ある程度人間として成長をして、
心の奥の奥の奥の方でじっくりと味わわないと
味わえない感覚なんじゃないかな?
 
なんて風にも思う。
 
 
 
 
 
「息が苦しい」
 
とかいうのは別にして、
心の底からの苦しみというのは
小学校低学年くらいでは味わいにくいだろう。
 
 
子供のころにも
 
 
「つらい、辛い」
 
「かなしい、涙がしょっぱい」
 
 
みたいのはあったとしても、
 
心にズシリとしみわたるような
 
 
「人生における苦味」
 
 
というのは、たぶん味わうことはできない。
 
 
 
そしておそらく、
ボケてしまったお年寄りの方も、
 
 
「心からの苦味」
 
 
というのは、感じることは少ないのではないだろうか?
その辺は、ちょっと想像になってしまうのだけれど。
 
 
 
 
「苦しみ」
 
というのが、人生の味覚における
 
「苦味」
 
なのだとしたら、それをまったく体験しないままというのは
もしかしたら、もったいないことなのかもしれない。
 
 
 
おそらく、味覚的にも最も活発であろう、
あなたや私の世代の時に、多くの「苦味」を味わっているのは、
人生の深みを増していることになるのだろう。
 
 
 
「私、好きとか嫌い以前の話で、
 コーヒーも、ビールも、赤ワインも、
 たらの芽も、ゴーヤも、カカオも、
 口に入れてみたことないんです」
 
 
と言う人がいたとしても、
それはそれで自由なんだけれど
 
 
「もしかしたら、味わい深いかもよ?」
 
 
とは思ってしまいそうだ。
 
 
 
 
さて。
 
 
 
生きている限り、様々な事が起こる。
 
 
甘~い体験は素敵だけれど、それだけでは
 
「人生を味わいつくした」
 
ということにはならないのかもしれない。
 
 
 
もちろん、かといって苦しいだけなのはイヤだけれど、
 
 
酸いも甘いも。
 
 
辛さも。しょっぱさも。
 
 
そして、人生における苦味も。
 
 
 
その全てを味わい切り、
どの「人生の味覚」も鋭敏になった方が
 
 
「美味しい人生」
 
 
を過ごすことが出来るのかもしれないね。
 
 
 
「味覚」が衰えないうちに、
いろんな経験をしておきたいものですわ。
 
 
ではでは。

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