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ナナメから『ブレーメンの音楽隊』。

気まぐれに続けている、
 
「有名な昔話を、
 ひねくれた視点で読み返してみよう!」
 
というシリーズ。
 
 
早いもので、もう15回目。
いやぁ、継続は力なり!ですね!(笑)
 
 
ってなわけで、今回は『ブレーメンの音楽隊』。
 
 
みんな知っていると思うけれど、
一応あらすじをおさらいしておこう。
 
 
むかしむかしあるところに
「こいつ、もう使えねぇ」と人間に捨てられた
年老いたロバ、イヌ、ネコ、オンドリが
音楽の道を志してブレーメンに行く途中
お腹がすいたので盗賊団の住みかを騙して脅して奪って
音楽のことなんかすっかり忘れて幸せに暮らしました。
めでたしめでたし。
 
 
という、感動の友情ストーリーです。
 
 
 
、、、あのさぁ。
 
 
読み返してみると、
 
「なんでこれが世界的な名作になっているんだろう?」
 
と首をかしげざるを得ないほど
けっこうひどい話だよね?
 
 
他の昔話にも見られるんだけれど
 
「悪い人のものは、奪っていい」
 
っていう道徳観って、どうなの?
 
 
『桃太郎』も「悪い」とされている鬼から
金銀財宝を奪い、奪われた人たちに返すことなく
自分たちのものにしているみたいだし、
 
『ジャックと豆の木』にいたっては、
特に悪い事をしていたとは思えない巨人の家から
財宝を奪って帰るって、ただのこそ泥じゃん!?
 
なんて思うんだけれど、どうよ?これ?
 
 
今回のブレーメンの音楽隊にしてみたら、
どうやって泥棒の家だと分かったのかという描写は
(広く知られているストーリー上は)ないから、
 
 
「本当に泥棒の家だったの?」
 
「それって、“勝てば官軍”的に
 相手を悪者にしているだけなんじゃないの?」
 
 
なんて疑いたくもなる。
 
 
 
仮に、百歩譲って泥棒の家だったとしても、
もしかしたら、
 
「ああ、泥棒なんて悪い事をしてしまった。
 みんなにあやまって盗んだものを返した後、
 自首しよう」
 
と話し合っていたかもしれないし、
義賊みたいに、悪人から宝物を盗んで
貧しい庶民たちに配る人たちだったかもしれない。
 
窓際で盗み聞きした会話の一部だけで、
 
「こいつらは、悪」
 
と決めつけるのは、いくらなんでも
早計に過ぎやしないだろうか?
 
そうだよ!もしかしたら
お芝居の練習中だったのかもしれないし!
 
もっと可能性を広く考えようよ!(笑)
 
 
 
いずれにしても泥棒は良くないかもしれないけれど、
 
 
「泥棒からは奪っていい」
 
「悪という存在には、情け容赦など無用。
 徹底的に抹消せよ」
 
 
という、この道徳観が
今なお続く世界の紛争に拍車をかけているのではないか?
 
ブレーメンの音楽隊こそが、
超大国の欺瞞の縮図なのではないか?
 
なんて風にも、フツー思うよな?(笑)
 
 
 
 
個人的には、この物語全体を貫いているテーマは、
 
「憎悪のループ」
 
のように思う。
 
 
おそらく、家を奪われた盗賊団は
この事件があったからといって改心することはなく、
またどこかで盗みを働くだろう。
 
 
そこで盗賊団に何かを奪われた人々は、
悲しみに打ちひしがれた後、悪に手を染めるかもしれない。
 
 
なぜならば、この物語の世界観が、
 
「奪われたら、奪え」
 
「傷つけられたら、やり返せ」
 
というメッセージが色濃く出ている
世界だからだ。
 
 
だって、音楽隊のメンバーである
ロバ、イヌ、ネコ、オンドリといった面々は、全員が
 
「尽くしてきた人間たちに裏切られる」
 
という心の傷を負って集まった結果、
自分たちも(結果的に)強盗団になり果ててしまうという
末路を迎えているんだもの。
 
 
思いつきで「音楽隊になろう」としていたものの、
その夢はいつのまにか忘れ去り、
老体にムチ打って奪う計略を練り、実行した。
 
 
 
もし彼ら動物たちが、飼われていた人たちに
愛を注ぎ続けられていたら、
幸せに天寿をまっとうしていたことだろう。
 
それなのに、「使えなくなった」という罵詈雑言を浴びせられ、
さらに捨てられたり、スープにされそうになったわけだ。
 
 
彼らの心の奥底に心的外傷ストレス障害が発生し、
それが醜くねじ曲がってしまった結果、彼らは
 
「人間どもからならば、奪ってもいい」
 
という気持ちを芽生えさせ、強盗へと駆り立てたに違いない。
 
彼らにとっては、それは住みかと食事を
手に入れる以上の意味があったことは、容易に想像できる。
 
 
 
「そんなこと言うけれど、
 あのままだったらロバたちは殺されていた」
 
「捨てられたからこそ、同じ気持ちを分かち合える
 仲間に出会えた」
 
 
という見方もできる。
 
 
しかし、その結果として強盗団を結成して
いい理由には、なるのだろうか?
 
「奪われる側から、奪う側へ」
 
という悪魔のバトンを受け取っていいのだろうか?
 
なんて考えちゃうよね?
 
え?考えない??(笑)
 
 
 
 
現実社会でも、耳触りのいい言葉を言いながら
やっていることは人を騙していることなんて、
けっこうある。
 
「社会貢献のために!」
「未来の地球のために!」
 
と言いながら、弱者から
お金をかすめ取ろうとしている人もいる。 
 
 
 
それはまるで、
 
「音楽隊をめざそうよ」
 
という小気味のいい言葉で誘惑し、
実際は強盗団の片棒をかつがせる
老獪なロバのような存在だ。
 
 
そして、そんな現実社会の詐欺師たちの生い立ちをみると、
やはり心に深い傷を負っていたり、
愛を知らずに育って来てしまったという人も多い。
 
 
「憎悪のループ」から、逃れられなかったという、
本人たちだけを責めれば済むわけじゃない背景も
あったりする。
 
 
 
だから。
 
 
なかなか、そうは行かない現実もあるけど、
だからこそ、
 
「憎悪のループ」
 
は、断ち切れる人でありたいな、とも思う。
 
 
「憎悪のループ」に呑みこまれ、溺れるのではなく、
ささやかな力かもしれないけれど、抗ってみる。
 
 
憎悪を憎悪で返すのではなく、
憎悪に愛を注ぐ。
 
 
 
そんな人が増えた時、この
 
『ブレーメンの音楽隊』と言う物語の
 
真の役割は終わるのかもしれない。
 
 
 
「憎悪のループ」がある、という現実を
短い物語にまとめたのは、
 
「早く、こんな世界が変わりますように」
 
という祈りにも似た想いが
込められているのかもしれない。
 
 
 
『ブレーメンの音楽隊』。
 
それは「憎悪のループ」の社会に焦点をあてた
愛と祈りの物語である。
 
 
そんな風に読み返してみると、
また違った味わいが出て来たりもするよね?
 
 
・・・ふぅ。
 
今回は、ナナメ読みシリーズの中では
けっこう重厚な話になったな。
 
はい?そんなことない?
 
 
まぁ、色々、物語はナナメ読みできるよ、
ってなわけで(笑)
 
 
ではでは。
 

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